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登場人物全員と公平に向き合う……翻訳家が語る舞台の裏側【下】

俳優と通訳に感謝、小田島雄志・翻訳戯曲賞座談会

山口宏子 朝日新聞記者

 小田島雄志・翻訳戯曲賞贈呈式での座談会の後編です。受賞者の齋藤敦子さん高橋亜子さん松岡和子さんと。実行委員の小田島恒志さん新野守広さんが、翻訳家の立場から演劇・ミュージカルの裏側を語り合います(2022年1月24日、東京・東池袋のあうるすぽっと)。
 司会・構成は山口宏子(実行委員) 【上】から続く。

稽古場での楽しさと気づき

――本や映画と違い、長い稽古期間を経て世に出てゆくところが戯曲翻訳の特徴ですが、齋藤さん、経験してみていかがでしたか?

齋藤敦子 演出のラッド(ラディスラス・ショラー)は、まず俳優さんに向かって「このせりふは、こういう意味で言ってください」とすごく細かく説明します。それを聞いて、「ここはニュアンスを取り違えていたな」と思ったら、言葉を変えてもらったり、俳優さんからここは言いにくいと言われたら、ちょっとずつ手直しをしたり、そういうことが意外に楽しかったですね。

――高橋さんは?

高橋亜子 ミュージカルは基本的には歌稽古から始まって、本稽古に入っていきます。いまはコロナ禍で、稽古場に行くのが難しいところもありますが、初演の作品では、歌稽古で歌ってみた感じを俳優さんと調整したり、実際その曲が芝居の中に入ったときに、感情とちょっと違ってくる、みたいなところは直したり、出来るだけ密接にやっています。

松岡和子 私にとって一番勉強になったのは(英国人の演出家)ジョン・ケアードさんの稽古場です。ジョンさんは、私が訳した日本語台本を、別の翻訳者がまた英語に訳す「バックトランスレーション(逆翻訳)」をするんです。松岡の日本語訳でどういうイメージになっているのかを知りたいということなのですが、そこで、私が間違えていたことなどへの気づきがありました。バックトランスレーションをネイティブの演出家に読んでもらうというプロセスは、私にとってすごく役に立ちました。

高橋 バックトランスレーションは、私も海外のクリエイターたちが来るときはしていただきます。作品によってはバックトランスレーションしたものを、作品の権利元に戻してチェックを受けるケースもありますし。それを見ると、ここは原語とこういうふうに違ってくるんだなといった発見がすごくあって、勉強になります。

小田島恒志 でもいいことばかりじゃなくて、本当に日本語がちゃんとできる人が英訳してくれないと大変なことになります。単純な例で言うと、何かをちょっと拾ってもらった時に言う「Thank you」を「すいません」と訳した時、「I am sorry」にされてしまうような弊害もあるので。日本語としてこれが自然だということを分かってくれないと、無駄にもめるので困りものです。

 外国人の演出家では、日本語をローマ字に書き直した台本を手元に置く人もいます。以前、『ライフ・イン・ザ・シアター』を英国のポール・ミラーが演出した時、彼はローマ字台本を見ていました。ベテランと若手の俳優の二人芝居で、冒頭の「Good night」「Good night」というやりとりを「お疲れ」「お疲れさまでした」と訳したら、ローマ字での文字数が倍以上違うので、演出家は「同じことを言っているのに、なんで違う?」と驚いていました。「日本では先輩、後輩で言葉遣いが変わってくるので」と説明したら、すごく感動してくれて、最初の2行を説明したおかげで、あとは全部信用してくれた、ということもありました。

第14回小田島雄志・翻訳戯曲賞の贈呈式での(左から、敬称略)齋藤敦子、高橋亜子、松岡和子、「オフィスコットーネ」の綿貫凜、「風姿花伝プロデュース」の那須佐代子、実行委員の小田島恒志=2021年1月24日、東京・東池袋のあうるすぽっと、山本未紗子撮影

第14回小田島雄志・翻訳戯曲賞の受賞者(敬称略)
 齋藤敦子(フロリアン・ゼレール作『Le Fils 息子』の翻訳)▽高橋亜子(アメリカのミュージカル『Glory Days グローリー・デイズ』『ダブル・トラブル』の翻訳・訳詞)▽オフィスコットーネ(『墓場なき死者』上演)▽風姿花伝プロデュース(『ダウト 〜疑いについての寓話』上演)▽特別賞=松岡和子(シェイクスピア全37戯曲の完訳)

間違いを見抜く、俳優の感覚

――稽古場での俳優との関係はどうですか?

松岡 俳優さんって、すごいなって思うことが多々あります。

 一つ例を挙げると、シェイクスピアの『シンベリン』で、主人公のイノジェンが薬を飲んで仮死状態になり、生き返って、後にその話をする――というところがあります。それを「あの時私は死んだんですもの」と訳していたのですが、演じていた大竹しのぶさんが、そこをやるたびに「一時的に死んだんですものって」と、「一時的に」を入れるんです。「原文には『一時的に』なんて書いていないから、外して」と指摘したら、「なんか言いにくい」と言う。そこで原文を見たら「I died」じゃなくて「I was dead」だったんです。ああ、これは駄目だと、「だってあの時私は死んでたんですもの」に直したら、「それなら言える」と。原文は行為としての「die」ではなく状態としての「dead」だったのを、私が「died」で訳しちゃった。それを見抜くんですよね、役者は。もう恐れ入りました、あの時は。

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