世田谷パブリックシアター「解体新書」、幻の「東京五輪」開会式案も明かす
2022年03月25日
狂言師・野村萬斎が、20年間務めた世田谷パブリックシアターの芸術監督を2022年3月末で退任する。芸術監督企画として続けてきたトークとパフォーマンス『MANSAI◉解体新書』も最終回となった。そこで語った萬斎の体験的公共劇場論、そして演劇とは、日本文化とは――。
(2022年2月24日、東京・三軒茶屋の世田谷パブリックシアター、構成・山口宏子)
皆さま、ようこそおいでくださいました。『MANSAI◉解体新書 その参拾弐 完 「檄」〜初心不可忘〜』です。
私、3月末日をもって、この世田谷パブリックシアター芸術監督を退くことになりました。この『MANSAI◉解体新書』もここで一区切りということで、今回はゲストなしで、この20年間に思ったことなどをお話ししたいと思っております。
本日のテーマの「初心忘るべからず」。
世阿弥自身は、この言葉にはいろんな解釈が成り立つと言っています。私が思う一つの意味は、観客の方々に楽しんでいただきたいと考え、こうやって今日も舞台に立ち、もし皆さまに楽しんでいただけたなら、そこに花が咲く――ということです。
そのためには、それなりの準備が必要で、土壌、つまり、この場所を用意して、種を埋め、水と養分をやり、いい空気を吸ってもらって、はじめて花を咲かせることができる。舞台芸術を含め、各種の芸術につながる話です。また、皆さんも毎日、何かを吸収しながら、自分が生きる土壌をこしらえ、そこに、それぞれの花を咲かせることができれば、豊かな人生になると思います。
中にはしおれかけている方もいるかもしれませんね。あ、しおれるというのは、年をとるという意味じゃないですよ。世阿弥は、年をとったら、とったなりの花の咲かせ方がある、と説いています。舞台芸術の花も、人生の花も、同じように考えることができます。その意味で、非常に重要な言葉だといえるでしょう。
この「初心」をどう持ち続けるかということが、世田谷パブリックシアターにおいて、芸術監督としての私の方針でもありましたし、そのための養分やいろいろな知識を得る機会だったのが、これまでの『MANSAI◉解体新書』だったと思います。
取り上げたテーマは、例えば身体であったり、演劇の百貨店といわれるシェイクスピアであったり、多岐にわたりましたが、いろいろな分野のゲストとお話をしながら、「表現することとは」を考えてきました。
ジャンルが違うと方法論も違うわけですが、目指すことや、考え方には重なる部分も多く、そこを紐解きながら、何が演劇や舞台芸術には必要かということを探ることで、私自身、たくさんの刺激を受けながら、観客の皆さまと一緒に勉強させていただきました。幸いご好評をいただき、32回実現できたことに、ここで改めて感謝を申し上げたいと思います。
『MANSAI◉解体新書』
野村萬斎が芸術監督に就任した2002年に始めたトークとパフォーマンスを合わせた企画公演。20年間で32回開催した。「からだ」「型」「日本語」「俳優」「振り」「ものまね」「扮装」「人形」「鏡」「声」など多様なテーマを第一線のパフォーマー、文化人らを招いて考察してきた。萬斎自身は舞台芸術を人気店のラーメンにたとえ、「厨房に入って秘伝のスープの材料をさぐり、そのおいしさの素をつきとめてゆくような試み」と語っていた。
主なゲストは、伊藤キム、吉田鋼太郎、市川右近(現・右團次)、国本武春、白石加代子、豊竹咲甫太夫(現・織太夫)、いとうせいこう、近藤良平、コロッケ、森村泰昌、桐竹勘十郎、杉本博司、篠山紀信、伊東四朗、大友良英、落合陽一、首藤康之、神田伯山ら。
私は20年前に、この劇場の芸術監督に就任したわけですが、「公共劇場の芸術監督って何すりゃいいの?」ということから考えてきました。芸術監督制度って、日本ではまだ、30年くらいの歴史で、社会になじんでいないところがありますからね。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください