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野村萬斎ラストメッセージ【下】――目指してきた劇場のレパートリー

シェイクスピア、『敦』、そして大作『子午線の祀り』へ

野村萬斎 狂言師

 世田谷パブリックシアターの芸術監督を3月末で退任する狂言師の野村萬斎は、この20年、「地域性、同時代性、普遍性」「伝統演劇と現代演劇の融合」「総合的な舞台芸術=トータル・シアター」という三つの方針を掲げて活動してきました。その日々を振り返って語った『MANSAI◉解体新書』最終回(2022年2月24日)の後編です(【上】から続く、構成・山口宏子)。

劇場を開き、海外へ、子どもたちにも

 この20年を振り返りますと、最後の方はコロナ禍で海外との交流がまったくできなかったのですが、それまでは、私自身が創作したり、企画したりした作品を、そのまま海外に持っていったり、海外から演出家が来て、世田谷で作り、上演した作品を自国に持って帰ったりということが実現していました。

 そういう海外の演出家に負けないように、日本人がどう発信してゆくことが必要か、その中にどう身を投じていかなければいけないかを、私も勉強させていただきました。

 私が芸術監督に就任したのは35歳でしたから、若さによる「恥はかきすて」という感じで、いろいろ無謀かもしれぬ挑戦もさせていただきました

 海外に通用する作品というお話をしてきましたが、これ、海外ではなく、例えば「子ども」に通用する作品というのも重要ですね。

 子どもは残酷ですよ。面白くなければ、すぐ、飽きて、暴れてしまいますから。演劇人はもっと、子どもにもちゃんと芝居を見せるということを考えないといけないと思いますね。大人の演劇ファンは、理屈や方法論で納得してくれるところもありますが、子どもは面白いか、面白くないかと感覚的に受け止めます。公共劇場として、子どものことは忘れずにやっていきたい、と考えてきました。

 ロンドン留学中には、英国の演劇を教わる代わりに、狂言を教えていました。その時に、ダウン症の人たちのカンパニーでも狂言の指導をしたのですが、そこでは、こちらがリクエストした通りのことが、できる/できないということを超えて、一つの表現のあり方を学ことができたなあと思いました。

 そういう体験の延長が、世田谷パブリックシアターでも実現できたのは良かったと思います。

 芸術監督生活を振り返って思うのは、自分のポリシーを全く曲げることはなかった、ということですね。それくらい、根本のことのみを考えていたのかもしれませんが。

 野村萬斎ラストメッセージ【上】――日本文化の中の芸術監督とは

劇場は「生きている」と実感する場所

 20年の間には、いくつもの災害がありました。

 2021年の東日本大震災の時は、いつ余震が起こるか分からないので、もし強い揺れがきたら、お客様をどう避難誘導するかなどを、改めて劇場全体で考えました。また、電力不足が心配されたので、とにかく電気を使わないように、というので、ロウソク一本立てて「解体新書」をやったことも思い出します。能・狂言では、かがり火で上演する「薪能」や、能楽堂でろうそくの灯りで演じる「蝋燭能」がありますから、すぐそういうふうに頭がシフトしました。

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