朝日新聞論説委員(元モスクワ支局長)の駒木明義氏が、プーチン大統領がウクライナ侵攻で描いたシナリオをこう見立てていた(「アエラ」2022年3月21日号)。
<ロシアから離れようとしていたウクライナを取り戻し、ベラルーシも含めた3カ国で構成する「ルースキー・ミール(ロシア世界)」を復興させ、プーチン氏が救世主として君臨する>
ルースキー・ミール。この言葉を、複雑な思いでとらえる人がウクライナ、そしてロシアにもいる。キエフに今も残る作家アンドレイ・クルコフ氏の著書を読んだから、そう思えた。
その本は、2013年からの「マイダン革命」を記録した『ウクライナ日記──国民的作家が綴った祖国激動の155日』(訳・吉岡ゆき、集英社)。氏はそこで、「ルースキー=ロシア人の」「ロシースキー=ロシアという国の」と説明し、こう書いていた。
<私だって「ルースキー」、つまり民族的にはロシア人だ。そしてウクライナ国民だ。だが私は「ロシースキー」ではない。なぜならロシアという国には私は何のかかわりもないからだ>
補足するなら氏は、1961年にソ連のレニングラード(現在のサンクト・ペデルブルグ)で生まれ、3歳の時に家族でキエフに移っている。母語のロシア語を話し、それで著す作家だ。

アンドレイ・クルコフ=2015年3月、ウクライナ・キエフ
この本ともう1冊、彼の代表作『ペンギンの憂鬱』(訳・沼野恭子、新潮クレスト・ブックス)のおかげで、現在ウクライナで起きていることへの理解が深まった。ウクライナが近くなった。
近さを表現するなら、「旅したことのある国」ではないかと思う。旅、中でも外国を訪ねると、街の匂いや歩いた感触、人々の息遣いといった諸々が記憶に残る。報道で知るだけの国だったウクライナが、クルコフ氏に連れられて、感触が残る国へと変わった。だから「つらい他人事」だった侵攻も、「隣人の災厄」になったのだ。
多くの人に読んでほしいので、氏の著書2冊を紹介する。
彼がまだキエフにいることは、朝日新聞(3月16日朝刊)への寄稿で知った。「私たちは退却せず、独立と自由を保たなければならない。降伏もしない」とする一方、「キエフにとどまるべきか、脱出を試みるべきか。いまとなってはどちらがより危険なのかわからない」ともあった。とにかく無事なことに安堵する。