過去の戦争協力への反省と「不殺生戒」「いのち尊重」
2022年03月23日
2月24日、ロシアによるウクライナへの侵攻は、伝統仏教界をある意味で活性化させた。というのは、主立った各教団や団体が武力攻撃を批判し、即時停戦を求める声明や談話を発表しただけではない。侵攻翌日の25日から3月5日までの10日以内に、きわめて迅速に発表しているからだ。とかく動きの鈍い伝統教団では、珍しいと言えよう。
ウクライナ情勢に対する仏教界の主な対応(3月5日現在、ロシアのウクライナ侵攻から10日間)
2月28日 全日本仏教会 理事長談話
2月25日 日蓮宗 宗務総長声明文
3月1日 真宗大谷派(東本願寺) 宗務総長声明
3月1日 臨済宗妙心寺派 談話(宗務総長・宗議会議長・所長会会長)
3月1日 曹洞宗 宗務総長談話
3月2日 浄土宗 宗務総長声明
3月3日 天台宗 宗務総長談話
3月4日 浄土真宗本願寺派(西本願寺) 宗会決議
3月4日 本門佛宗 宗務総長声明文
3月5日 真言宗智山派 宗務総長声明
伝統仏教教団や都道府県仏教会、仏教系団体が加盟している全日本仏教会(全日仏)をみてみよう。2月28日、「ウクライナ情勢に関する理事長談話」を戸松義晴理事長名で発表した。
「国際社会の願いも叶わず、問題を解決する手段として武力を用いた暴力を行使し、ヨーロッパにおいて戦争が始まりましたことは、誠に残念でなりません」と状況を明示。そのうえで「仏陀は『すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ』(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』「ダンマパダ」130)と述べられています」と仏教の立場から非戦を明確にしているのが特徴である。
他教団・団体も現状を憂慮し、それぞれの宗祖・祖師の教えに依りながら停戦を求める構成はほぼ共通している。その前に伝統仏教教団組織を俯瞰しよう。
国家体制にならい、総理大臣にあたるのが宗務総長(あるいは総長)であり、宗務行政のトップに位置する。その宗務総長のもとに内閣に当たるのが内局である。国会にあたるのが宗議会や宗会で、この歴史は意外に古い。本願寺派(西本願寺)は明治14年(1881)に宗会を開設。明治23年(1890)の帝国議会より先んじている。
こうした宗務総長や宗議会、檀信徒、信仰の頂点にあるのが管長や門主・門首であり、教団の象徴的存在である。しかし管長や門主が社会的な問題、政治的な問題に言及することはほとんどないため、宗務総長や宗会名義の発信が教団を代表するメッセージとなる。
ウクライナ情勢に関する声明等の一部を抜粋する。
浄土宗〈私たち浄土宗は、法然上人が説かれた「愚者の自覚」の立場から、煩悩にとらわれた人間の哀しみをみつめ、すべての「いのち」の大切さに想いを馳せ、世界の人々が共に手を取り合って平和を実現してゆくことを強く望みます〉
天台宗〈このたびの武力による侵攻は、仏教者として看過することは全くできません。あらゆる暴力行為を非難し、武器を置いた対話による解決を強く望みます。そして、一日も早く戦争が終結することを願い、神仏へ祈りを捧げてまいります〉
真言宗智山派〈私たち真言宗智山派は大日如来を始めとする曼荼羅諸尊をご本尊としております。叡智そのものであり、根源の光そのものである大日如来は、太陽の光のようにあらゆる時代、場所にさまざまな姿で現われて、すべての生き物を救うために説法をしています。その教えを基に、生きとし生けるもの全てが平穏な暮らしを取り戻せるよう強く望みます〉
これらは各教団ホームページに掲載されている。真宗大谷派(東本願寺)の声明は過去の戦争協力に言及している点が、他教団の声明とやや異なる。
大谷派〈私たちは、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、1995年の『不戦決議』において、「すべての戦闘行為の否定」とともに、「民族・言語・文化・宗教の相違を超えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設に向けて、すべての人々と歩みをともにする」ことを誓いました〉
不殺生を説き、平和的だと思われている仏教だが、さかのぼれば明治以降、日本の仏教教団は国策に従ってソフト・ハード両面で戦争に協力してきた。いわゆる15年戦争(1931~1945)では、中国大陸への従軍僧侶派遣や布教所等の開設、宣撫工作などを行った。日米開戦以降は、戦闘機の献納に積極的だった。よく知られているのが、梵鐘や金属仏具の供出であり、これらは武器・弾薬に変わった。
さらに天皇制や戦争を肯定するため、教学の見直しも行われた。「戦時教学」とされるものである。宗祖や祖師の著作のなかにある不穏と思われる字句を削除したり、読むことを避けたりした。本山では戦勝祈願の法要が営まれ、密教寺院では敵国調伏の護摩が修法されたりした。
もちろん戦争に反対する僧侶もいた。植木等の父である植木徹誠はその一人である。三重県で水平社運動に身を投じていた真宗大谷派僧侶の植木徹誠は、日中戦争時に「戦争は集団殺人だ」と発言し、戦争を批判した(『夢を食いつづけた男──親父徹誠一代記』植木等著)。
戦後、宗教教団として最初に戦争責任を表明したのは日本基督教団である。1967年、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表した。
仏教教団はそれより遅れる。日中戦争50年にあたる1987年4月、真宗大谷派(東本願寺)が宗務総長名で戦争責任を告白。「わが宗門は戦争を〈聖戦〉と呼び『靖国神社ニ祀ラレタル英霊ハ皇運扶翼ノ大業ニ奉仕セシ方々ナレバ菩薩ノ大業ヲ行ジタルモノト仰ガル』といったのであります。そのこと自体が深い無明であり、厚顔無恥でありました。今そのことを憶うとき、身のおきどころがないような慙愧の念におそわれます」。
曹洞宗は1992年11月、宗務総長名で「懺謝文(さんじゃもん)」を発表。「アジアの他の民族を侵略する戦争を聖戦として肯定し、積極的な協力を行った」と表明している。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)は2004年5月、「宗門が1931(昭和6)年から1945(昭和20)年にいたるまでの15年にわたる先の戦争に関して発布した、消息・直諭・親示・教示・教諭・垂示などは、今後これを依用しない」と発令。すなわち教義ともなる消息(門主の指示文書)などは使わないと明言した。それだけ戦争協力は教団に重くのしかかっていたのである。
仏教界において戦争責任を追及した先駆者が禅学者の市川白弦(1902~1986)である。1970年11月、『仏教者の戦争責任』を上梓し、5年後に『日本ファシズム下の宗教』を発刊した。しかし、当時これに追随する仏教者はほとんどいなかった(私が知らないだけかも知れないが)。
では、時間を経てからなぜ教団の戦争責任に言及するようになったのか。
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