2022年03月25日
『ちゅらさん』という物語──沖縄-本土の「非対象」な約束は守られたか
石垣島出身のバンド、BEGINの歌に「オジー自慢のオリオンビール」というのがある。沖縄でシェアナンバーワンのオリオンドラフトビールのCMソングで、BEGIN流の島唄を集めたアルバム『オモトタケオ2』(2002)に収められている。数あるビールのCMソングの中で、文句なく傑作と呼ぶべき作品だと思う。沖縄では、子どもから老人まで誰もが歌えるらしい。
歌詞の内容は、「島」とつくもの(酒でもマース(塩)でもぞうりでも)ならなんでも好きな若者とオジーの対話のように構成されている。若者は明日の甲子園の準々決勝を前に、今夜から那覇のビアガーデンに行くんだと張り切っている。彼はどんな映画よりオジーと話す方が楽しいともいう。ただ、不景気でどうにもならないから、内地へ出稼ぎに行こうかとつい愚痴る。
するとオジーはこう叱る。「金がないなら海へ行け。魚が獲れれば生きていける。なんとかなるから(なんくるないさ)、やってみろ」と。多分、これは復帰前を知る世代と復帰後しか知らない世代の気のおけないダイアローグなのだろう。
「三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの 夢と飲むから美味しいさ」という軽快なサビの後、メインヴォーカルの比嘉栄昇は、声を落としてこう歌う。
戦後復帰を迎えた頃は
みんなおんなじ夢を見た
夢は色々ある方が良い
夢の数だけあっり乾杯
さらりと歌われるこの歌詞に込められたのは、復帰運動のファナティックなほどの熱気と画一性への違和感なのだろうか。BEGINの3人は1968年生まれで、復帰運動を覚えていないはずだから、家族や年長者から当時の様子を聞かされたのかもしれない。
1950年代の反米・反基地の「島ぐるみ闘争」は、苛烈な米軍の弾圧に遭って、最低限の権利を獲得したいと願うようになる。それゆえ、「平和と民主主義」の憲法を擁する本土日本への復帰を求めた。
人々が一丸となって復帰運動へ打ち込んでいく様子は、後の世代から見れば「おんなじ夢」を見ているように感じられたのかもしれないが、実際はそれほど単純ではなかった。ベトナム戦争の真っ只中、「祖国復帰」の一部は「反戦復帰」へ向かったし、さらに反戦への傾きは、アメリカの世界戦略に同調し、その巧みな手立てとして復帰を仕組んだ日本国家への反感も生み出していった。
復帰運動は戦後沖縄の最大の民衆運動であり、そこから多様な思想的試みが生成される、大きな坩堝(るつぼ)のようなものだった。決して画一的な運動ではなく、「おんなじ夢」にはつぶさに観察するとさまざまな色合いがあった。
もし、BEGINやその後の世代が、復帰後の沖縄に「夢は色々ある」と感じるなら、その多様性の母体こそ復帰運動だったのではないか。復帰後の1970年代から80年代にかけて芽吹き、90年代の「沖縄ブーム」を内部から押し上げたカルチュラルパワーを考えるとき、そんな思いが頭をよぎる。
復帰前後の沖縄では、「坩堝」の中から大きく2種類の考え方が生まれた。その新たな思潮を解説するために、復帰運動の反語的な可能性に触れた鹿野政直の言葉を引いておきたい。
鹿野は、明治政府による琉球処分以後を「沖縄の人々が『国民』へと連行されていった時代」とした上で、米軍占領下の戦後昭和期を「沖縄の人々がみずから『国民』であることを求めていった時代」と呼んでこう述べる。
「それは、一つの落し穴へのめりこんでいった思想といえるかもしれません。とともに、そこに発揮された主体性・能動性ゆえに、自立への芽を内在させていたということができます。つまり、倒立した自立思想とでもいうべきものでした」(『沖縄の戦後思想を考える』、2011)。
やや分かりにくいが、「国民」でありたいと強烈に願う自分を鏡に映すように、我が身を一個の主体として見る自覚が生まれたということだ。
また鹿野は続けて、沖縄の人々が復帰をめぐる日米の思惑と駆け引きに翻弄され、「『国民』であることの落とし穴に落ちたという痛恨を抱えたために、『国民』であることを対象化する思想を打ち出そう」(前掲書)としたのだと分析する。つまり、「核抜き本土並み」に代表される虚偽のスローガンに騙されたと知ったとき、人々は日本を禍々しい他者として再認識し、その他者に対峙する可能性を発見したのである。
さらに復帰を転換点として、「倒立した自立思想」はおおよそ2方向のテーマへ流れ出していく。
ひとつは、反復帰の視点から、それまで同質と見なしていた日本を一個の異質な国家として対象化し、さらに反国家を論じる思想。もうひとつは、改めて沖縄に向き合い、それを一個の“未知の部分を残す自己”として捉え直そうとする文化動向だ。この二つの流れが、茫然自失した復帰後の沖縄に新しい手掛かりをもたらしたのである。
まず、一つ目の流れである反復帰の思想を見る。
反復帰論の代表的な論者は、『沖縄タイムス』の記者だった新川明(あらかわあきら)と川満信一(かわみつしんいち)である。新聞記者として精力的に記事を書きながら、雑誌『新沖縄文学』に拠って反復帰の論陣を張った。彼らは本土日本をたんに幻滅の対象ではなく、「国家としての日本」と見て、反復帰の視点を反国家へ深化させていった。
ここでは、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください