倒立した自立思想

1972年5月15日、那覇市の国際通りで、沖縄の復帰を祝う横断幕の下を、復帰に反対してデモ行進する人たち
復帰前後の沖縄では、「坩堝」の中から大きく2種類の考え方が生まれた。その新たな思潮を解説するために、復帰運動の反語的な可能性に触れた鹿野政直の言葉を引いておきたい。
鹿野は、明治政府による琉球処分以後を「沖縄の人々が『国民』へと連行されていった時代」とした上で、米軍占領下の戦後昭和期を「沖縄の人々がみずから『国民』であることを求めていった時代」と呼んでこう述べる。
「それは、一つの落し穴へのめりこんでいった思想といえるかもしれません。とともに、そこに発揮された主体性・能動性ゆえに、自立への芽を内在させていたということができます。つまり、倒立した自立思想とでもいうべきものでした」(『沖縄の戦後思想を考える』、2011)。
やや分かりにくいが、「国民」でありたいと強烈に願う自分を鏡に映すように、我が身を一個の主体として見る自覚が生まれたということだ。
また鹿野は続けて、沖縄の人々が復帰をめぐる日米の思惑と駆け引きに翻弄され、「『国民』であることの落とし穴に落ちたという痛恨を抱えたために、『国民』であることを対象化する思想を打ち出そう」(前掲書)としたのだと分析する。つまり、「核抜き本土並み」に代表される虚偽のスローガンに騙されたと知ったとき、人々は日本を禍々しい他者として再認識し、その他者に対峙する可能性を発見したのである。
さらに復帰を転換点として、「倒立した自立思想」はおおよそ2方向のテーマへ流れ出していく。
ひとつは、反復帰の視点から、それまで同質と見なしていた日本を一個の異質な国家として対象化し、さらに反国家を論じる思想。もうひとつは、改めて沖縄に向き合い、それを一個の“未知の部分を残す自己”として捉え直そうとする文化動向だ。この二つの流れが、茫然自失した復帰後の沖縄に新しい手掛かりをもたらしたのである。