2022年03月29日
ロシアによるウクライナ侵攻から1カ月以上が経過し、依然として悲惨な状況が続いているにもかかわらず、マスメディアやSNSでは、ロシアの侵攻を間接的に擁護する人が後を絶ちません。
「確かにロシア(orプーチン)は悪いとは思う。でも……」という「イエスバット話法」を用いて、ウクライナの問題点を同列に並べて指摘をする「Victim Blaming(被害者叩き)」や、ロシアの侵攻に批判の声を上げる人々に対して「戦争反対と言ったところで戦争は止まらない」と冷笑する言説が散見されます。
また、日本は中立的立場であるべきという言説も目立ちます。たとえば、2022年3月20日放送の「サンデー・ジャポン」(TBS系)で、政治評論家の杉村太蔵氏は、以下のような発言をして、インターネット上で大きな批判を浴びました。
「冷静に考えなきゃいけないのは、(中略)ロシアっていうのはG7の中で日本は一番近い国ですね。そうした中で(中略)戦争をしている両国の中で片方の国に加担するのが日本の外交として正しいのか。インドのように徹底的に中立という立場で持つというのも必要なんじゃないか」
MCを務める爆笑問題の太田光氏も、「僕もそう思うけど、なかなかそれが言いにくい空気になっていますよね、今の日本国内で」と賛同の意を表明していました。
杉村氏や太田氏は一見中立的な態度を示すように見えて、結局は加害者および強者であるロシアの侵攻を擁護するものだと思います。「ウクライナは気の毒で、プーチンが悪いのは間違いないが」と杉村氏がことわっているように、本人たちにロシアを擁護する意図はないと思います。ですが、その意図とは関係なく、これらの発言がどういう意味合いを持つのかが大切です。まずは、私が作成した概念図をご覧ください。
この概念図を「権力シーソー」と名付けたのですが、圧倒的な武力を用いて侵略する核大国ロシアと、一方的に攻められているウクライナでは、権力関係はイコールではありません。傾いたシーソーのように非対称なのです。
ここで「片方の国には加担しない」「対話が必要」「お互い歩み寄るべき」と言って中立的態度を取ったとしても、シーソーの傾きは何ら変わりません。つまり、権力関係に勾配が生じている中での「中立的態度」というのは、加害者・強者側に傾いている現状を追認するだけの態度なのです。
この概念図は、今回のような侵略戦争に限らず、イジメ、DV、差別等、人権や尊厳が一方的に侵害される様々な場面にも当てはまります。というより、このような状況下では、権力勾配性が必ず存在するのであり、シーソーが均衡した状態はありえません。つまり、人権や尊厳の侵害に「中立」という概念は存在しないのです。
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ元大主教は、人種差別における権力勾配性を「象とネズミ」にたとえて、以下の有名なセリフを残しています。
不当なことが起きているときに中立を主張することは、抑圧する側を選んだということだ。象がネズミの尻尾を踏んづけているときに、あなたが中立だと言っても、ネズミはあなたが中立だとは決して思わないだろう。
杉村氏は「冷静に考えなきゃいけない」と言っていますが、以上のことに鑑みると、それは「冷静」ではなく、「冷淡」の間違いではないでしょうか。起こっている人権や尊厳の侵害に対して冷淡でなければ、「中立」という態度は取れないからです。コインの表か裏かの2択と同じく、被害者側に寄り添うか否か、選択肢は2つしかありません。
なお、太田氏は杉村氏に同意を示した後、「圧倒的な正義というのは無いんじゃないか。プーチンは僕らから見たら悪ですけど、ただプーチンの中にも彼なりの正義がある」と発言していました。
ですが、
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