勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
杉村氏や太田氏は一見中立的な態度を示すように見えて、結局は加害者および強者であるロシアの侵攻を擁護するものだと思います。「ウクライナは気の毒で、プーチンが悪いのは間違いないが」と杉村氏がことわっているように、本人たちにロシアを擁護する意図はないと思います。ですが、その意図とは関係なく、これらの発言がどういう意味合いを持つのかが大切です。まずは、私が作成した概念図をご覧ください。
この概念図を「権力シーソー」と名付けたのですが、圧倒的な武力を用いて侵略する核大国ロシアと、一方的に攻められているウクライナでは、権力関係はイコールではありません。傾いたシーソーのように非対称なのです。
ここで「片方の国には加担しない」「対話が必要」「お互い歩み寄るべき」と言って中立的態度を取ったとしても、シーソーの傾きは何ら変わりません。つまり、権力関係に勾配が生じている中での「中立的態度」というのは、加害者・強者側に傾いている現状を追認するだけの態度なのです。
この概念図は、今回のような侵略戦争に限らず、イジメ、DV、差別等、人権や尊厳が一方的に侵害される様々な場面にも当てはまります。というより、このような状況下では、権力勾配性が必ず存在するのであり、シーソーが均衡した状態はありえません。つまり、人権や尊厳の侵害に「中立」という概念は存在しないのです。
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ元大主教は、人種差別における権力勾配性を「象とネズミ」にたとえて、以下の有名なセリフを残しています。
不当なことが起きているときに中立を主張することは、抑圧する側を選んだということだ。象がネズミの尻尾を踏んづけているときに、あなたが中立だと言っても、ネズミはあなたが中立だとは決して思わないだろう。
杉村氏は「冷静に考えなきゃいけない」と言っていますが、以上のことに鑑みると、それは「冷静」ではなく、「冷淡」の間違いではないでしょうか。起こっている人権や尊厳の侵害に対して冷淡でなければ、「中立」という態度は取れないからです。コインの表か裏かの2択と同じく、被害者側に寄り添うか否か、選択肢は2つしかありません。
なお、太田氏は杉村氏に同意を示した後、「圧倒的な正義というのは無いんじゃないか。プーチンは僕らから見たら悪ですけど、ただプーチンの中にも彼なりの正義がある」と発言していました。
ですが、
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