前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【47】地上のぽっぽやと地底の炭坑夫への挽歌~「テネシーワルツ」と「夢は夜開く」
「圭子の夢は夜開く」1970(45)年
作詞 石坂まさを、作曲 曽根幸明
歌 藤圭子
「映画『鉄道員(ぽっぽや)』を歴史的名作にした三つの挿入歌~高倉健と戦後日本<前編>」に引き続き、この映画のこととそこで見事に使われた挿入歌のことについて書く。
本稿を書くために、江利チエミ・バージョンの「テネシーワルツ」を改めて聴き、映画版「鉄道員(ぽっぽや)」もストリーミングサービスで見直してみた。すると興味深い新発見がいくつもあった。映画版「鉄道員(ぽっぽや)」をショーアップしたのは「テネシーワルツ」だけではなかったのだ。
「テネシーワルツ」ほどの主役級ではないが、他にもバイプレーヤーとして渋い役回りを演じた挿入歌があり、この映画のエンタテインメント度を落とさずにカルチャー度を上げるのに大いに貢献していることに気づかされた。
映画では、高倉健演じる主人公の若き日の“ぽっぽや”時代の回想がいくつか挿入されている。
盲腸線の終着の寂れはてた元炭鉱町で一人駅長をつとめる定年間際の主人公のもとを、かつての機関士仲間が訪れ、廃線・廃駅が近いので旧国鉄関連への「横滑り」をもちかけて昔話に花が咲くという設定である。
その多くは原作にないシーンで、それにかぶさる歌やBGMとあいまって、2時間ちかいこの映画をショーアップするのに大きな効果を果たしている。
その中でもっとも印象深いのは、せいぜい10数分ほどのこんなシーンである。
主人公が駅長になりたての頃は、まだ炭鉱がぎりぎり健在で、駅前の食堂は仕事あけの炭坑夫たちで大いににぎわっていた。おりしも石炭が石油に取って代わられるエネルギー革命の時期にあたっており、人員整理がはじまっていた。そこで、本雇いと臨時工の炭坑夫が鉢合わせし、人員整理をめぐって内輪喧嘩がはじまる。
妻に逃げられ子連れで筑豊の炭鉱から流れてきた一人の臨時坑夫に対して、首切り反対の赤旗を掲げる労働組合に組織された本工坑夫たちが「スト破り!」と罵倒。片や子連れの臨時坑夫は「なにいってるんだ、先に首を切られるのはおれら臨時工だ!」と応じ、多勢に無勢の殴り合いになる。
居合わせた主人公の“ぽっぽや”駅長が仲裁に入るが、「この親方日の丸」と逆に矛先を向けられ、食堂のおかみのとりなしでなんとか事なきを得る。
これが機縁で、“ぽっぽや”駅長は子連れの臨時坑夫と親しくなるが、ある日、男は落盤事故で死亡、“ぽっぽや”駅長夫妻は、残された男の子を、幼くして亡くした娘の代わりに面倒をみる。
こう書くと感動的ではあるが、実は封切られてしばらくして観たときは、このシーンを適当に見流していて、その重要性と真の意味には気づかなかった。子連れの臨時坑夫を演じていたのが志村けんで、「バカ殿」のイメージから、どうせ意外なキャスティングによる話題作りだろうという偏見をもっていたからだ。
ところが今回、見直してみて、その演技に感心させられた。小林稔侍ではなく、志村にこそ日本アカデミー賞助演男優賞を授与すべきだったとさえ思えるほどだ。(なお、志村は2020年末に公開予定だった「キネマの神様」に主演すことに決まっていたが、クランイン直前にコロナ禍で急逝しため、「鉄道員(ぽっぽや)」が生涯で唯一の映画出演作品となった)
実は、その志村の迫真の演技のなかに、この映画を歴史的な作品にさせた秘密のひとつがひそんでいた。