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太田昌克さんに聞くウクライナの核危機(上)~プーチンへの不安

井上威朗 編集者

 ロシアのウクライナ侵攻についてさまざまな報道が出ています。

 ですが、平時において漫画や野球観戦に興じている私のような人間は、戦時だからといって慌ててニュースを見ても、前後の文脈を知らないのでよく理解できません。これはその前に予習をしなければ……。

 そこで本欄の著者インタビューの場所を借りて、私がこれまで担当させていただいた著者の中でもっとも信頼のおける方に教えを請うことにしました。

 日曜版「報道ステーション」の「サンデーステーション」(テレビ朝日系)でも見かける、共同通信社編集委員の太田昌克さんです。戦後の「核」をめぐる国際情勢の取材を真摯に重ねておられ、私はその成果の一部を頂戴して2013年に『秘録──核スクープの裏側』(講談社)という本を編集させていただきました。そして2022年、ちょうど新刊として共著『核兵器について、本音で話そう』(新潮新書)が上梓されました。

 このタイミングなら、新刊についても言及しながら、ウクライナ侵攻とはどういうことなのか、核の恐怖はあるのか、といったところについて基礎から教えてもらえるのではないか。そう思って打診したところ、オンライン取材ならOKとのこと。ありがたく、テレビの限られた時間ではコメントしきれないところまで、存分に語っていただきました。

太田昌克

1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。政策研究大学院大学博士課程修了。博士(政策研究)。92年、共同通信社に入社、広島支局、外信部、ワシントン支局などを経て、共同通信編集委員。2006年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『日米中枢9人の3.11──核溶融7日間の残像』(かもがわ出版)、『日米〈核〉同盟――原爆、核の傘、フクシマ』 (岩波新書)、『秘録――核スクープの裏側』(講談社)など太田昌克(おおた・まさかつ) 1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。政策研究大学院大学博士課程修了。博士(政策研究)。92年、共同通信社に入社。広島支局、外信部、ワシントン支局などを経て、共同通信編集委員。2006年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『日米中枢9人の3.11──核溶融7日間の残像』(かもがわ出版)、『日米〈核〉同盟──原爆、核の傘、フクシマ』(岩波新書)、『秘録──核スクープの裏側』(講談社)など

──いきなりバカみたいな質問ですみません。なんで突然戦争が始まってしまったんですか。何が起きているんですか。

太田 私たちには突然なのですが、ロシアは別の見方をしているようです。今回の侵攻が始まった2月24日にロシア政府関係者に話を聞いたら、「別に今始まったわけじゃないんですよ」と言われたのですね。もう7年、8年も続いているって。

──8年前? 何があったんでしたっけ。

太田 私はロシアの専門家でも何でもありませんが、知っている範囲で概略を申し上げると、ウクライナの親ロシア政権が崩壊した2014年、ロシアはクリミアを占領しました。その後、親ロ派住民の多いウクライナ東部にロシア軍が介入し始めたんです。もちろんロシアは自国軍の駐留を公式には否定しているんですけれども。さらに、東部のドネツクとルガンスクという2つの州の親ロ派勢力は8年前に独立を宣言し、「人民共和国」を名乗っています。そして、ロシア軍の支援を受ける親ロシア派武装勢力とウクライナ正規軍がずっと断続的に戦っている。だから「戦争はもう8年になる」というのが、ロシアの言い分なんです。

ロシア国内の社会的不安が高まる?

『核兵器について、本音で話そう』(新潮新書)太田昌克、兼原信克、高見澤將林、番匠幸一郎『核兵器について、本音で話そう』(新潮新書)
──では、プーチン大統領は最初からこの東部を狙って軍事行動を起こした、と。

太田 東部の支配を確立することはウクライナ侵攻の主要な目的の一つだと思います。侵攻の計画性に関しては、バイデン大統領は「周到に計画されていた攻撃」と明言していますし、1年前から侵攻を企図して大動員をかけていたという英国シンクタンクの分析もあります。

 一方、日本の外務省の中には「プーチン大統領もギリギリまで決めてなかったんじゃないか」という見方もあります。2014~15年のミンスク合意では、東部の親ロ派実効支配地域に、「特別な地位」を与えると決めました。そのため、2021年末からウクライナ国境に大規模展開した10万を超える軍勢を後ろ盾に、その地位確立を目指す「強制外交」を進めるのがプーチン氏のそもそもの狙いなのではないか、そして、親ロ派地域の「独立国化」が既成事実になれば、プーチン氏の満足できる結果になるのではないか。そんな分析を私に説明するロシア通の外務省関係者もいました。ですが、実際、プーチンの思ったとおりには強制外交が進まなかった。だからギリギリまで考え悩んだ末、軍事行動に出てウクライナを侵攻した、という見立てです。

──そのどちらにしても、キエフを占領できていない3月末までの状況は、プーチンにとっては計算外だったのではないでしょうか。

太田 はい、おそらくプーチン氏は多勢に無勢で早ければ数日内でキエフを攻め落とす腹づもりだったのではないでしょうか。しかし現実は全くそうなっていない。SNSを通じた国内外の連帯の輪に支えられウクライナ側の士気が極めて高い上、西側の積極的な兵器提供やインテリジェンス共有もあってロシア軍は大苦戦している。またロシア軍は長大な補給線を維持する備えが十分できていなかった可能性があり、キエフへの全面侵攻に手間取ったのかもしれません。

 しかもこの間、西側の経済制裁がどんどん強化されていきました。なかでもロシア中央銀行の外貨準備の半分ほどが使えなくなり、手持ちのドルやユーロで暴落するルーブルを買い支えることができなくなった。また、ドル経済を支配する米国の非常に強力な金融制裁の余波を恐れた世界の多くの企業がロシアとの取引を手控え始めた。これもプーチン氏には大きな痛手となり、孤立感と焦燥感を深めているのではないでしょうか。

──欧州各国はカンカンになって怒ってますよね。ロシアへの対決姿勢を強めているように見えます。

太田 ロシアの石油や液化天然ガス(LNG)が得られなくなる恐れもあるのに、ドイツは殺傷性の高い兵器をウクライナに供与する決定をしました。これは第2次大戦のナチス・ドイツの反省から、戦後は海外紛争への関与を非常に抑制してきたドイツとしては、大きな政策転換です。歩兵がロシア軍のヘリコプターなどを撃ち落とせる地対空ミサイルのスティンガーなどが戦場でかなりの効果を上げており、ロシア軍に想定外のダメージを与えました。

 こうした兵器でキエフ侵攻が思い通りに進まず、ロシア側の死傷者が増大したことで、ロシア国内には動揺が広がっているはずです。ウクライナ側の発表では、すでに1万5000人以上の戦死者をロシア側は出している。ロシアは日本同様に少子化対策が重要な政治的課題で、一人っ子も少なくないと聞きます。そうなると、たった一人のわが子を戦争で亡くしたお母さん方のデモだっていずれ起きても不思議ではないでしょう。プーチン氏はそうした事態を恐れて反政府的な言動を許さない法整備を行いましたが、国内の社会不安は今後、確実に高まっていくのではないでしょうか。

戦争準備態勢のレベルを上げない米国

Serhii MilekhinSerhii Milekhin/Shutterstock.com

──やっぱりプーチンにとって誤算が続いている?

太田 米国と欧州、そしてG7がここまで結束するとは思っていなかったでしょうね。米商務省高官が3月29日にアジアの記者向けに行った説明によると、世界で最も経済力のある33カ国が対ロシア制裁に既に加わっています。さらに、軍事面では欧州各地からポーランドなどを経由してウクライナに多くの兵器や物資が供給されています。今後、停戦交渉がスムーズに進まず膠着状態が続き、泥沼化の兆候が見え始めたら、ロシアはその補給路を攻撃しようと考えるかもしれない。

──どんな攻撃をするのでしょう……。

太田 追い込まれ感を強めたプーチン氏が補給路を断ち切るために、そして欧米の軍事支援を阻止するために、戦術核を使う選択肢を検討することだってあるかもしれません。

 戦術核とは、米ロが互いの首都や本土の核ミサイル基地を狙って発射する長距離型の戦略核戦力ではなく、戦場レベルでの使用を想定した核兵器です。新聞などで「小型核」と表現されるものも含まれますが、広島型原爆の3分の1程度の爆発力、つまりTNT換算火薬で5キロトン程度の破壊力を持つ「低出力型核」をロシアは保有しています。小型、低出力と称していますが、核は核です。都市を壊滅させる破壊力があり、放射線の被害は時空を超えて拡散します。

 ロシアがそんな戦術核を使う可能性も完全に排除できるわけではありません。例えば、ウクライナ側の士気をくじくために無人エリアで示威行動、威嚇行為の一環として低出力型核を使うシナリオだってあります。プーチン氏が2月末にロシアの核運用部隊を「特別戦闘態勢」に置いたことも、そうした懸念に拍車を掛けます。

──やはり「核」をめぐる危険性が高まっているのですね……。

太田 ですが、バイデン政権は、今のところ冷静に対応しています。米国防総省の戦争への準備態勢を示す「ディフェンス・レディネス・コンディション(Defense Readiness Condition) 」、5段階のデフコンというものがあります。デフコン5からだんだんと段階が上がり、核戦争の手前までいったキューバ危機ではデフコン2になった。

 デフコン1になると核攻撃がいつ始まってもおかしくありません。ロシアが核の警戒態勢を上げたわけですから、米国も呼応してこのデフコンを上げることによって脅しのシグナルを送る展開だって十分に想定されるのですが、米国は今のところ、ロシアの挑発を受けてもデフコンを上げていないんです。米露の正面対決が現実味を帯びないように、事態をエスカレートさせまいと、うまくコントロールしているのではないかと思います。

戦時の最高司令官に合理的な判断ができるのか

Olga KhasanovashutterstockOlga Khasanova/Shutterstock.com

──ではこれからどうなるのでしょうか。

太田 停戦交渉がうまくいくことを願うばかりですが、一方で心配されるのが、ウクライナから今後、兵士がポーランドなどに退避する展開です。「敗走兵を追跡せよ」と命じられたロシア軍はウクライナ兵を追いかけることになる。仮にロシアの軍用機が追跡し、ポーランド領空に入ってしまったらどうなるか? 領空侵犯になりますね。そうなると、NATO(北大西洋条約機構)の戦闘機がスクランブルをかけて追い払おうとするでしょう。その結果、偶発的なNATOとロシアの衝突が空で起こるかもしれない。

──核兵器の使用だけではなく、欧州とロシアの軍事衝突のリスクまであるのですね。

太田 戦争が長期化すれば、事態がさらにエスカレートする可能性も否定できません。あとプーチン氏が冷静さを欠いている節が見られるのも気掛かりです。特に2月21日の安全保障会議でプーチン氏がことさら感情的な反応を見せ、閣僚らをむやみに叱責する様子があまりに異様だったと指摘する日本政府内のロシア専門家もいます。そんなプーチン氏の言動に彼の側近たちも大いに戸惑っている。

──つまりロシアの偉い人でも、プーチンの態度にドン引きしている?

太田 こうしたプーチン氏の姿を目の当たりにすると、戦時の最高司令官が本当に合理的で理性的な判断ができるのか、不安が募ります。プーチン氏に耳心地の良い情報しか上がっていない恐れも指摘されており、余計に懸念が深まります。(つづく)