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ノウハウ満載、江戸時代の旅行ガイドを読む

書物を通してわかる「旅」の実相、その苦労と楽しみ

有澤知世 神戸大学人文学研究科助教

本への書き込みから見える旅の準備

 みなさんは、旅行の前にどのような準備をするだろうか。

 行き先だけを決め、あとは現地で気の向くまま歩くのが好きという人もいるだろう。雑誌やネットで入念に下調べをして、行きたい場所や見たい風景をリストアップする時間を楽しむ人もいるのではないだろうか。地方のバスや電車の路線を眺めることが旅のスタートだという人の話を聞いたこともある。

 「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」という句で有名な、俳人の山口誓子(1901~94)は、旅の前に入念に準備する人だったらしい。

俳人、山口誓子=1988年撮影
 誓子は東北を旅した時、事前に松尾芭蕉の『奥の細道』を何度も読み、そこに記された地名や旅程についていろいろ調べたことが、所蔵していた文庫版『奥の細道』への書き込みからわかる。江戸中期に芭蕉が見たものや訪れた場所を見逃さないようにするための下調べであり、依頼されていた『奥の細道』についての講演の予習でもあったと思われる。

 明治の俳人正岡子規も、同様に『奥の細道』の旅を慕って東北を旅し、紀行文『はて知らずの記』(明治26年〈1893〉)を執筆した。

 誓子旧蔵の改造社版『子規全集』に収められた『はて知らずの記』にも、誓子による多くの書き込みがあり、書物を通して子規と同じ景色を見ようとしたことがうかがえる。

『奥の細道』(松尾芭蕉、元禄七年〈1694〉以前成立、国文学研究資料館蔵)
 もともと『奥の細道』の芭蕉の旅も、平安末期から鎌倉時代にかけての歌人、西行の跡を慕ってのものであった……ということを考えると、古人へのリスペクトの念が、各時代の俳人たちに同じ道をたどらせ、書物を通じて同じものを見せている、という不思議なつながりが感じられる。

 山口誓子の旧蔵書は現在、神戸大学の「誓子・波津女俳句俳諧文庫」に収められている。上記の文庫版『奥の細道』も『子規全集』も、その中にある。ロバートキャンベル氏(早稲田大学特命教授、早稲田大学国際文学館顧問)と筆者、そして神戸大学の学生たちで、『子規全集』の書き込みを通して、誓子がどのように子規を読んだのかを探ったワークショップの模様の動画「日本文学研究者の1日」がYouTubeで公開されている。

関所、女性は「そらおそろしくおぼつかなく」

様々な旅人を描いた『東海道風景圖會』(歌川広重画、嘉永四年〈1851〉刊、国文学研究資料館蔵

 江戸時代、街道が整備され、それまでの時代と比べて全国へのアクセスは格段に便利になった。しかし、旅が「非日常」であることは現代と比べものにならず、多くの危険をはらむものであった。

こゝも又女をあらたむる関なり。せきやの前にかごをすへて関守どものおほくなみゐて何くれとのゝしるも、そらおそろしくおぼつかなくおぼへ侍るに……

 これは、江戸時代初期に書かれた女性による紀行文『あづまのゆめ』(興正院筆、寛文9年〈1669〉成)の一節である。

 「関」とは、交通の要所に門を設けて通行人を検査する所。今でいう、空港の入国審査のゲートのようなものだろうか。そこで多くの役人たちが大声で話しているのを恐ろしく思いながら、通行手形(通行を許可する証)に目を通されるのを心細く待っている女性の姿が描かれている。

『富樫』(17世紀頃刊、国文学研究資料館蔵)。幸若舞曲の「富樫」を絵と文で綴った一冊。関守の富樫が、義経一行を厳しく詮議する。
 関所の通過といえば、能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」で描かれる、山伏とその荷物持ちに扮して北陸路へ逃れようとする源義経一行と、彼らの正体を厳しく吟味する関守・富樫(とがし)の緊迫したやりとりが有名だ。

 江戸時代の女性たちは、義経たちのように追われる立場でなくとも、かなり入念に身体検査をされたり、手形に少しでも不備があれば長期間そこにとどめ置かれたりと、簡単には関所を通過することができなかったらしい。

 『あづまのゆめ』ではこのあと、女性たちはみな無事に関所を通過することができて喜び合う様子が描かれ、彼女たちが大変な緊張状態にあったことがうかがえる。

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