有澤知世(ありさわ・ともよ) 神戸大学人文学研究科助教
日本文学研究者。山東京伝の営為を手掛りに近世文学を研究。同志社大学、大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2017年1から21年まで国文学研究資料館特任助教。「古典インタプリタ」として文学研究と社会との架け橋になる活動をした。博士(文学)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
書物を通してわかる「旅」の実相、その苦労と楽しみ
みなさんは、旅行の前にどのような準備をするだろうか。
行き先だけを決め、あとは現地で気の向くまま歩くのが好きという人もいるだろう。雑誌やネットで入念に下調べをして、行きたい場所や見たい風景をリストアップする時間を楽しむ人もいるのではないだろうか。地方のバスや電車の路線を眺めることが旅のスタートだという人の話を聞いたこともある。
「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」という句で有名な、俳人の山口誓子(1901~94)は、旅の前に入念に準備する人だったらしい。
誓子は東北を旅した時、事前に松尾芭蕉の『奥の細道』を何度も読み、そこに記された地名や旅程についていろいろ調べたことが、所蔵していた文庫版『奥の細道』への書き込みからわかる。江戸中期に芭蕉が見たものや訪れた場所を見逃さないようにするための下調べであり、依頼されていた『奥の細道』についての講演の予習でもあったと思われる。
明治の俳人正岡子規も、同様に『奥の細道』の旅を慕って東北を旅し、紀行文『はて知らずの記』(明治26年〈1893〉)を執筆した。
誓子旧蔵の改造社版『子規全集』に収められた『はて知らずの記』にも、誓子による多くの書き込みがあり、書物を通して子規と同じ景色を見ようとしたことがうかがえる。
もともと『奥の細道』の芭蕉の旅も、平安末期から鎌倉時代にかけての歌人、西行の跡を慕ってのものであった……ということを考えると、古人へのリスペクトの念が、各時代の俳人たちに同じ道をたどらせ、書物を通じて同じものを見せている、という不思議なつながりが感じられる。
山口誓子の旧蔵書は現在、神戸大学の「誓子・波津女俳句俳諧文庫」に収められている。上記の文庫版『奥の細道』も『子規全集』も、その中にある。ロバートキャンベル氏(早稲田大学特命教授、早稲田大学国際文学館顧問)と筆者、そして神戸大学の学生たちで、『子規全集』の書き込みを通して、誓子がどのように子規を読んだのかを探ったワークショップの模様の動画「日本文学研究者の1日」がYouTubeで公開されている。