幼い子供の幼稚性全能感と瓜二つに見える
2022年04月11日
ロシアによるウクライナ侵攻について、一方的な被害者であるはずのウクライナに対して「望まれてもいない的外れなアドバイス」や、批判の矛先を向ける「Victim Blaming(被害者叩き)」をする著名人が後を絶ちません。
もっとも話題になったのが「降伏論」「抗戦否定論」でしょう。侵攻開始からしばらくの間は、橋下徹氏、テレビ朝日の玉川徹氏、テリー伊藤氏等がマスメディアで、ウクライナの徹底抗戦を否定するような発言をして、インターネット上でも大きな批判を浴びていました。
侵攻から1カ月以上が経過して、「降伏論」「抗戦否定論」はめっきり減ったものの、ウクライナに対して「○○するべきだ!」とアドバイスをする人たちや、「ゼレンスキー政権に瑕疵があったのではないか!」という「Victim Blaming」がなくなったわけではありません。
たとえば、ブチャのジェノサイドの件についても、橋下氏は相も変わらずゼレンスキー政権批判に熱心です(ツイッター、2022年4月4日)。また、ジャーナリストの浅野健一氏も、「ゼレンスキー政権はロシアの侵攻を止めるための外交努力をしたのか」「『侵略したロシアが100%悪い』というのは間違っている。ウクライナに対しても『戦争を止めろ』(中略)と言わなければならない」という記事を書いています(「第1回 ウクライナ戦争報道の犯罪」独立言論フォーラム、2022年4月4日)。
ウクライナの人々の命を心配するがゆえの発言なのだと信じたいですが、この手の「望まれてもいない的外れなアドバイス」や「Victim Blaming」には、同意しかねる人が多いと思います。
たとえば、ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする小泉悠氏も、降伏論や抗戦否定論が問題視されていたときに、Twitterの投稿(2022年3月21日)で以下のように批判していました。
「目の前の命を守るために降伏する」と「後々のために徹底抗戦する」という選択は哲学の問題なので、どちらも否定はしないのだが、それぞれの選択肢が持つ負の側面を無視した議論は肯定できない
降伏や抗戦停止のあとにどれほどの命の危険が待ち受けているのかが想定できない以上、小泉氏の言う通り、被害を受けている側は「哲学的に」選択するしかないと思います。ですから、その選択について第三者がとやかく口を出すべきではありません。
エッセイストの犬山紙子さんは、人権侵害やジェンダーロールの押し付け等にあたる、言ってはいけないアドバイスのことを「クソバイス」と名付けていました。それにあやかり、被害者から求められてもいない指南をすることをここでは「被害者クソバイス」と呼びたいと思います。
さて、「被害者クソバイザー」に対して、既視感を覚えた人もいるのではないでしょうか。というのも、ロシアによるウクライナ侵攻の話に限らず、「被害者クソバイザー」は様々な場面で見られるからです。そして、彼らは往々にして加害者に対する批判や警告よりも、被害者への声掛けに重きを置く傾向にあります。
たとえば、様々な差別反対運動に対して、「確かに○○差別には反対だが、社会に聞く耳を持ってもらえるように、そんなに攻撃的にならず、言い方をもっと工夫したほうがいい」「語り口の優しさが大事だと思う」といった指南をする「トーンポリシング」は、その代表例でしょう。
当然ながら、そんなレベルのアイデアを既に試した当事者はごまんといるでしょう。それでも理不尽な差別はなくならなかったのです。その一方で声を大きく上げることで現状を変えたことはこれまで多かったのではないでしょうか。そうしたアクティビズムの歴史を踏まえたうえで当事者たちはトーンを強めて訴えているのですから、それに水を差すかのような「トーンポリシング」は妨害行為でしかありません。
他にも、加害者に注意をする痴漢ポスターは多少増えたものの、被害者に「痴漢に気を付けて!」と呼びかける類のものがいまだに多々残っています。あまりにありふれた光景なので、普通のことかと思う人もいるかもしれませんが、同じ電車内や駅構内での犯罪である暴行問題では、「暴行に気を付けて!」という被害者に向けたポスターは存在しないはずです。
さらに、経済的な理由から性風俗店で働いているセックスワーカーに対して
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