東映太秦映画村、大部屋、『ラスト サムライ』、大川橋蔵……
2022年04月12日
4月8日に完結したNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」は、ラジオ英語講座とともに歩んだ、祖母・安子(上白石萌音)、母・るい(深津絵里)、娘・ひなた(川栄李奈)、3世代3人のヒロインがリレーしつつ紡いだ100年の家族の物語だった。
英語講座やヒロインの心情はもとより、ジャズ、映画、各時代の流行など、さまざまな要素も毎回話題に。中でも、ひなたが大の時代劇ファンであることは、時代劇研究家を名乗る筆者としては大いに共感した。ここではひなたとほぼ同年代である筆者と「時代劇マガジン」元編集長・宮島和宏氏が見てきた時代劇とその現場について語り合う。
宮島和宏(ミヤジマ・カズヒロ)
1963年8月生まれ。愛知県出身。辰巳出版で、円谷プロ作品専門誌「ウルトラマンAGE」、時代劇専門誌「時代劇マガジン」などのニッチなジャンルマガジンを企画編集した。現在は絶賛無職中
ペリー こんにちは。サニー(ひなた)の3歳年上の姉、ペリーです。勝手に姉になってしまいました。ちなみにベリー(るいの友人・野田一子)ではありません。
宮島 知ってます(笑)
ペリー 宮島さんとは、「時代劇マガジン」で、里見浩太朗さんの「水戸黄門」、片岡鶴太郎さんの「八丁堀の七人」、北大路(欣也)さんの「子連れ狼」をはじめ、たくさんの時代劇を太秦の現場で取材しましたよね。東映と松竹のセットや控室で、多い時はスタッフさんを含めて一日10人以上のインタビューをしました。出演者の常宿で、実際に(子連れ狼の子役)大五郎カットにした小林翼くんといっしょに朝ごはんを食べたこともよい思い出です。それだけに「カムカム」は、これだ! と膝を打つ場面が多く、お世話になったみなさんの顔が浮かびました。
宮島 このドラマでは、100年の間の時代劇のリアルな歴史がよく描かれていましたよね。東映太秦映画村がオープンしたのが1975年、ひなたが「ミス条映コンテスト」に出たのが83年。これも東映撮影所の歴史と重なってます。
ペリー 時代劇が映画からテレビに移っていったことも描かれてましたね。その象徴がモモケンこと桃山剣之介(尾上菊之助)で、剣之介が亡くなり、彼の息子である団五郎(尾上菊之助が二役)が二代目・桃山剣之介を襲名することになると、ラジオの名物パーソナリティの磯村吟(浜村淳)は「片や銀幕の時代劇スター、片や団五郎はテレビ俳優です。さあ、その名前にふさわしい活躍ができるかどうか」と言ってました。
宮島 浜村淳さんの語りはよかったよね。
ペリー ひなたの部屋に「大江戸捜査網」(1970~2015)の名文句「死して屍拾う者なし」の文字が掲げてあって、笑いました。私は下敷きに必殺シリーズの新聞切り抜き記事をはさんでる中学生でしたけど、さすがにセリフを毛筆で書いて部屋には飾ってなかった。負けました。
宮島 何を競っているんですか。とはいえ、僕も小学生時代、「水戸黄門手帳」を作って、各話のサブタイトルと自分なりの評価で◎から×までつけてました。ひなたの言葉にも、つらいときにお父さんの膝の上で時代劇を見たというのがあったけど、だいたい僕らの世代は、祖父母や両親の影響を受けて、家族で時代劇を見ていますよね。
ペリー ブラウン管テレビが茶の間に1台という時代でしたから。
宮島 家族で時代劇を見なくなったことが、時代劇の危機につながったと僕は思います。撮影所の大部屋の若手俳優で、ひなたの恋人になった文四郎(本郷奏多)が「何にも新しいことをやらない」って言ったけど、
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