連載 沖縄ブームとは何だったのか
沖縄を目指すヤクザたち
“沖縄の映画”と聞いて、あなたはどんな作品を思い浮かべるだろうか?
年配の方なら、1953年公開の『ひめゆりの塔』(監督:今井正、製作:東映)を知っているかもしれない。沖縄戦の実態を広く伝えたこの作品は多くの観客を動員し、どん底にあった東映を救ったといわれる。今井監督は、1982年に同じ水木洋子の脚本で沖縄ロケによるリメイク作品(製作:芸苑社)もつくっている。

『ひめゆりの塔』(1982年版)の撮影現場。今井正監督(左)と主演の栗原小巻=那覇市南風原
また、1968年には舛田利雄監督による『あゝひめゆりの塔』(製作:日活)、1995年には神山征二郎監督による『ひめゆりの塔』(製作:東宝)もつくられた。戦後沖縄映画の一つの軸が「ひめゆり=反戦平和」にあったことは間違いない(いうまでもなく、それらの大作はすべて本土の作品である)。
ただ日本映画の好きな人なら、復帰前後から1980年代にかけて、沖縄映画にもう一つの(「ひめゆり映画」とは無縁の)濃厚な傾向が見え隠れすることに気が付いていただろう。
沖縄ヤクザ映画、とでもいうべきものである。
たとえば、復帰直前の1971年には、『博徒外人部隊』(監督:深作欣二、製作:東映)という奇妙な作品がある。主人公は零落した「組」のリーダーである郡司(鶴田浩二)。地元横浜ではもうどうにもならないと思い切った彼は、沖縄への侵出を目論み、手下たちにこんな科白を吐く。「戦後の日本のように、新しく縄張りをつくれる場所が一つだけ残っている」。彼が地図で示したのは沖縄だった。
こうして郡司は数名の配下と共に那覇へ乗り込み、「本土の食い詰め者」と嘲られながらもシマの強奪を進めていく。礼節ある侠客が似合う鶴田の、傍若無人の振る舞いにはいささか辟易するものの、この“本土から押し入るヤクザ集団”というプロットは強力で、このカテゴリーの「型」のように働いていく。その展開を少しだけ見ていこう。