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「歌詞の人」尾崎豊没後30年に思う、“先輩”山田かまちと岡真史の道筋

印南敦史 作家、書評家

大宮のラーメン屋で

尾崎豊さんの葬儀・告別式に集まった人たち拡大尾崎豊の葬儀・告別式に集まったファンたち=1992年4月30日、東京・護国寺

 尾崎に関しては、ひとつ印象的な出来事がある。

 1985年ごろのある夜、大宮の繁華街にあったラーメン屋でのことだ。なんとなく入ったに過ぎない、とくにおいしいわけでもない店だった。

 カウンターの片隅でラーメンをすすりながら、やる気のなさそうな若い二人の店員を眺めていた。そのとき、店内の有線放送から尾崎の「卒業」が流れ始めた。

 「卒業」はいまでこそ代表曲だが、そのときはまださほど知られてはいなかった。でも、有名な「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」というフレーズが聞こえてきてしばらくしたころ、外見的に元ヤンだと思われる店員の片方が、もう一人のほうを向いてこう口にしたのだ。

 「こういうこと、あるよな……」

 彼はそのあと、またつまらなそうに洗い物を始めた。それだけの話なのだが、私にとってはとても印象的な出来事だった。客の眼前でそういう発言をすることは、店員のホスピタリティが取り沙汰される昨今では考えられないことかもしれない。が、その是非はともかくも、言動自体は「卒業」の説得力の大きさを物語っているように思えたからだ。別な表現を用いるならば、その歌詞に“共感”したからこそ、その店員は洗い物をする手を止めたのだ。

尾崎豊拡大尾崎豊の「卒業」は世代を超えて聴かれ続けている
 そこに、尾崎豊を読み解く鍵がある。すなわち、同じようなことを感じたリスナーが日本中にいたのだ。だから「卒業」は名曲となり、尾崎は同世代もしくは下の世代の代弁者として認知されるようになったのだ。そこが重要だと感じるのである。

 尾崎が通っていた青山学院高等部(3年のときに自主退学)の3年先輩にあたる知人に、「尾崎豊についてどう思うか?」と尋ねてみたことがある。だがその知人は、「青学に通ってたというだけでお坊ちゃんだったことは間違いないんだから……」と、あまり肯定的ではなかった。

 まあ、わからないではない。実際に青学高等部に通い、同校の雰囲気を知っていた彼からすれば、ああいった歌詞はリアリティに欠けたものだったのだろう。しかし、そうだとしても、そこに共感した子どもたちだっていたのだ。尾崎が残した歌詞は、当時の多くの若者の心に届いたのだ。だから、彼は大きな影響力を身につけたのだ。好むと好まざるとにかかわらず、そのことだけは認めなくてはいけないだろう。

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筆者

印南敦史

印南敦史(いんなみ・あつし) 作家、書評家

1962年、東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。「ダ・ヴィンチ」「ライフハッカー(日本版)」「東洋経済オンライン」「ニューズウィーク日本版」「サライ.JP」「WANI BOOKOUT」など、紙からウェブまで多くのメディアに寄稿。著書に『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)など多数。新刊に『遅読家のための読書術──情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(PHP文庫)、読書する家族のつくりかた──親子で本好きになる25のゲームメソッド』(星海社新書)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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