戦後初期から女性差別、学歴差別を否定
専務は彼女の取材目的に合わせて、社内の様々な人物やOBを紹介し、そのインタビューを通して、岩波書店の戦後の歴史と、それに絡んだ独特な労使関係が浮かび上がってくる。
多くの企業では、パートや派遣比率を高めて正社員を削減し、査定の強化で従業員を選別したり、労働組合の力を弱めようとするが、岩波書店では「1980年代でも派遣社員は皆無、アルバイトも少数、ほぼ全てが正社員で差別のない労働条件を獲得した。出産・育児のための条件も整い、両性が定年まで勤務するのは当然」だった。
1957年生まれの著者は、岩波書店で夜間受付を経て編集者になったので、新入社員の時から社員の顔と名前をすべて知っていたという。それが作品に描かれる社内の人間関係に対する観察眼にもつながったのだろうか。また戦後の労働組合運動の歴史にも詳しく、電産型賃金体系への疑問を入社早々から表明し、岩波労組の執行委員も務めていたというから、その視点からの会社や組合に対する著者自身の考えも、登場人物の口を通して披瀝されていく。

岩波書店創業者の岩波茂雄
たとえば、エリート主義と画一的平等主義。創業者の岩波茂雄は一高中退、東京帝大専科終了という学歴による人脈も多く、大型企画の最初の相談相手も旧帝大の東京大学と京都大学の教授たち。「著者は厳選されたエリート。そうでありながら社員に対しては画一的平等主義です」と卓越編集者に語らせる。
戦後初期から女性差別を否定し、戦後の賃金体系で世間標準の学歴差別を否定し続けてきた。中卒高卒組の中で格別に優秀な人が多かったとも。賃金は長らく物価水準に連動するスライド制が維持され、インフレが激化した70年代には抜群の効果を発揮したという。だから70年代までは業界内で屈指の賃金水準が維持された。その一方で、労働時間や仕事の内容を評価しない平等主義は世間一般と乖離していると著者は見る。