[4]芸人と素人の共存から生まれた混沌の魅力
2022年05月10日
『笑っていいとも!』40年──「密室芸人」タモリが抜擢された理由
『笑っていいとも!』の代名詞、「テレフォンショッキング」という発明
前回、タモリの「仕切らない司会」についてみた。今回は、『笑っていいとも!』における素人の存在に注目する。『いいとも!』では、一般視聴者参加の企画も多かった。また、応募してきた一般の観覧客が入る公開生放送である点も忘れてはならない。そうした素人は、どのような存在だったのか? テレビと素人の歴史を踏まえつつ、探ってみたい。
『いいとも!』の一方の主役は素人だった。一般参加者を募集する企画が常時あって、そうした場にはユニークな素人もよく登場した。
コーナーの内容は、有名人や芸能人の「そっくりさん」や見た目と実年齢のギャップがある素人の「年齢当て」などさまざま。また、視聴者からの投稿をもとに進めるコーナーもあれば、高田純次がメインで一般参加者が思うままにダンスを踊る「ジュンちゃんのブラボーダンス」のようなコーナーもあった。
テレビに視聴者参加番組は付き物である。その意味では、『いいとも!』は、特筆するほどでもないかもしれない。だが他方で、素人に対するタモリら出演者の接しかたは、他のそうした番組に比べて特徴的だった。そこには、素人とのあいだに一定の、そして絶妙の距離感があった。
関根勤などは代表格のひとりだろう。関根が「そっくりさん」などのコーナーで司会を務めるとき、カーテンが開いた瞬間、登場した素人に一言添えるのが独自の芸になっていた。パッと見たイメージだけで、「カラオケでは必ず○○を歌います」「今日の朝食は××でした」などとそのひとのことを勝手に想像して形容する。コーナーの趣旨と直接の関係はあまりない。いわば、例えツッコミの一種である。
タモリの接しかたも、同様に独特だった。不思議な雰囲気を持っていたり、変な仕草をしたりする素人が現れても、単刀直入にツッコんで片付けてしまうことはめったにない。関根勤のように例えツッコミをしたり、興味津々で質問攻めにしたりすることで、キャラクターをさらに際立たせていく。やはりコーナーの趣旨とは関係なく、手元にあるフリップに出演する素人の似顔絵を描くこともよくあった。
ここでいったん、テレビと素人の歴史を簡単に振り返ってみたい。
テレビ以前のラジオ時代から、『NHKのど自慢』(1946年放送開始)に代表されるように、多くの視聴者参加番組がつくられてきた。テレビ時代になっても同様だったが、特にバラエティ番組においてキーパーソンとなったのが「欽ちゃん」こと萩本欽一である。
テレビにおいては、熟練したプロの芸人よりも、素人のほうが面白くなる。そう考えた萩本は、1970年代、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系、1975年放送開始)や『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系、1976年放送開始)など自らの冠番組のなかで素人を積極的に起用し、それらの番組は軒並み高視聴率に。素人は、笑いの主役になった。
ただし、そこでの素人は、根本的には萩本欽一というプロの芸人に依存していた。萩本が素人に対してさりげなく指示を出し、それに対し素人が失敗したり、思いもかけない反応をしたりすることで笑いが生まれる。そのようなツッコミ(フリ)役を務める萩本欽一は、番組内でも親子役を演じていたように、素人に対する保護者のような存在だった。
だが時代が進み、1980年代後半になってくると、素人はプロの芸人の手を離れ、自立し始める。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系、1985年放送開始)などがそうで、この番組では
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