メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

「沖縄でもポップカルチャーがあると思った」──新城和博氏に聞く(上)

“復帰後世代”が『おきなわキーワードコラムブック』に託したもの

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

復帰を知らない世代

──復帰から50年という節目の年でもあるので、最初に復帰運動についてお尋ねします。新城さんは1963年生まれだから、運動の様子はご覧になっていませんよね?

新城 はい、小学校に上がるかどうかの年齢ですから、覚えていません。どちらかというと、残っているのは沖縄戦のことなんです。母親が渡嘉敷島出身なので、集団自決の現場を体験しています。その話を聞かされたこともあって、戦争は家族の記憶になっていました。

新城和博拡大新城和博さん=筆者提供
 復帰のことは、小学生になって学校の先生から聞かされていたようです。先生の話に同調したのか、当時の個人文集を読むと「先生たちは頑張っています。ぼくも立派な日本人になりたい」って書いているのを発見しました。忘れてましたね。

──お若い頃、「復帰運動」に深くかかわった世代の方と出会ったり、語り合ったりしたご経験はあるのでしょうか?

新城 ぼくらは、沖縄戦はもちろん体験していないし、復帰運動も知らない。当時沖縄で何かを語ろうとするときの拠り所がない世代だった。そのころ「シラケ世代」という言い方がありましたが、その辺りとシンクロしているのかな……。ただ、大学に入った頃、学外の詩の同人誌に参加したのですが、そこのメンバーには復帰運動や、いわゆる「沖縄問題」に強く関心を持つ方々がいて、いろいろ話を聞いたり、ときに議論していました。

沖縄の復帰10周年を祝う記念式典では、満10歳の子どもたちを中心に万歳三唱=1982年5月15日午前11時45分、那覇市の那覇市民会館拡大沖縄の復帰10周年を祝う記念式典では、満10歳の子どもたちを中心に万歳三唱がおこなわれた=1982年5月15日、那覇市の那覇市民会館
 その同人誌で、復帰10年ということで特集号を出すことになって、「新城くんも書いてみたら?」と言われました。ご存知かもしれませんが、子どもたちの間では、本土復帰したら沖縄でも雪が降るっていう噂、いまでいう都市伝説があったんです。ぼくはそれをモチーフにして、“雪は降らなかったけど、パラシュートや爆弾は降ってきた”って詩を書きました。そしたら、年長の方たちが「やはり書けるじゃないか」って感心していました(笑)

──1970年代から80年代にかけて、本土のポップカルチャーの洗練を受けたんですね?

新城 ラジオの深夜放送、少年マンガに少女マンガ、ポップスとロックにどっぷり浸かりました。その中でとにかくハマったのが小林信彦さんです。「オヨヨ大統領」のシリーズに始まって、小説、エッセイ、コラムと耽読してきました。小林さんの影響で一番大きいのは「笑いの文学」ということでしょうね。シリアスなことでも笑いという視点で表したいということ。最近思うところあって、この20年ばかりのコラム連載を読み直したのですが、そこで感じたのは、大切なことは何度でも繰り返し書くということですね。小林さん、東京の下町での空襲、疎開のことを何度も何度も書いているでしょう。「あ、そうか! 戦争の記憶というのは何度も繰り返し語っていかなくちゃならないんだな」って思ったのです。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

菊地史彦の記事

もっと見る