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「沖縄ブームで沖縄と本土は近づいたと思った」──新城和博氏に聞く(下)

沖縄人の熱源は“沖縄とは何か”を考え続けること

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

違いを認めるつながり方


那覇市の琉球銀行で使い慣れた米ドルを日本円に交換し、見慣れない1万円札をじっと見る女性=1972年5月15日拡大那覇市の琉球銀行で使い慣れた米ドルを日本円に交換し、見慣れない1万円札をじっと見る女性=1972年5月15日

──あの時期にわれわれは、もっとしっかり出会うことができたのかもしれない、と?

新城 『おきなわキーワードコラムブック』の「キーワード」は沖縄内部だけのことですが、同じ世代なら共通言語を持ちうると考えていたのかもしれません。ただ、よく考えてみると、同じ言葉を使っていても見ている世界は違っていたのかな。同じ日常を生きていても別の風景を見ていた、ということもあるわけです。それでもつながることはできると、今は考えていますが、“みんな一緒”じゃなくて、溝があることを前提にしながらつながりを求めるというのがいいかもしれません。

──おっしゃるように、沖縄はその時々の状況の中で、少しずつ向きを変えながら、意思を表してきたと思います。その粘り強さを支える熱源ってどこにあるのでしょう?

新城 たぶん、それは琉球(国)が沖縄(県)になったから、あるいはなるように強いられたからだと思います。その結果、沖縄の人々はずっと「沖縄って何なのか?」って考えざるをえなかった。半ば無意識にアイデンティティを探している。だから、意思表示をするし意見を言い続けるんですね。しかも島の特性として、ぎゅっと凝縮させる傾向があるから、結果的に突出する場合がある。これは沖縄の自然なあり方なんですが、最近の本土にはこういう沖縄を嫌う人が増えているように感じます。いや、沖縄に限らず、何か意見を持つ人をすべて嫌うようにも見えます。大丈夫かな、日本は──実はこんな心配もあるんです。

 情勢はあまりいいとは思えません。でも、これからは「ブーム」ではなく、もっと落ち着いた対話を通して、沖縄と本土のつながり方を考えていきたいですね。

──同感です。また機会を設けてお話を聞かせてください。本日はありがとうございました。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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