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ロズニツァ監督『ドンバス』が活写する占領下ウクライナ東部の日常

池田嘉郎 東京大学大学院人文社会系研究科准教授(近現代ロシア史)

 セルゲイ・ロズニツァ監督の『ドンバス』(2018年)が公開される。ロズニツァといえば2020年に『アウステルリッツ』(2016)、『粛清裁判』(2018)、『国葬』(2019)が日本で公開された際に、歴史的事件と個人や群集の関わりを直視する力作ばかりであるので話題になった。

 この3本はみなドキュメンタリー映画であったが、今回公開される『ドンバス』は劇映画である。2014年以来親露派勢力の占拠が続くウクライナ東部のドンバス地方を舞台にして、戦闘・汚職・暴力がやむことのない日常が皮肉まじりに活写される。

©︎MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBE©︎MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBEセルゲイ・ロズニツァ監督『ドンバス』 5月21日(土)より東京のシアター・イメージフォーラムで先行公開(2週間限定)、6月3日(金)より東京・ヒューマントラストシネマ有楽町その他、全国順次ロードショー  ©︎MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBE

 劇映画とはいえ、現実との境界は低い。2014年以来、一般の人々が動画サイトに投稿した占領地の生活の断片が、ロズニツァに着想を与えた。『ドンバス』は13のエピソードからなるが、いずれも投稿動画をもとにして、話を肉付けしていったものである。群集シーンには2000人が登場し、セリフのある100人のうちプロの役者は3分の1だけというように、撮影には多くのウクライナ市民が参加した。

 彼らエキストラや、撮影が行なわれたクリヴォイ・ログ(ドンバスの西側に隣接するドニエプロペトロフスク州にある)の住民にとって、占領下にあるドンバスの状況は決して他人事ではなかった。親露派の戦闘員や彼らの旗が登場するシーンの撮影では、住民が混乱しないように地元当局が説明しなければならなかった。捕虜となったウクライナ側の兵士が親露派の住民に街頭でリンチにあうシーンでは、通りがかった男性が映画の撮影であると分からずに、兵士を守るために本気で割って入ってきたという(撮影については当地メディア《Krivyi-Rih trend》2021年3月5日付に詳しい)。

現在のウクライナに直接につながる情景

 物語の大半は親露派占領地域で進行するが、市役所での市長への抗議に焦点を当てた第2エピソードだけはウクライナ側の話である。市長が汚物をかけられて糾弾される姿が、テレビ局によってセンセーショナルに報道される。このエピソードには、ウクライナ側も政治は腐敗し、メディアはスキャンダル報道に明け暮れるだけという、ロズニツァの冷ややかなまなざしが感じられる。

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 ウクライナ側の話が出てくるのは、ドンバス全域が親露派に占領されているわけではないからである。占領地帯とそうでない地帯の間には軍事境界線がしかれ、いくつもの検問がおかれている。人々は、汚職から逃れるため、故郷の家の様子を確かめに行くため、敵を攻撃するためなど、様々な理由で検問を越える。突然に起こる砲撃さえなければ、ドンバス全域が不思議な中立地帯のようにも見えてくる(中立地帯とは、ロシアの独立系メディア《Meduza》2018年5月9日付のアントン・ドーリンの映画評にある言葉である)。

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 ロシアとウクライナの間に本格的な戦争が始まってしまった今となっては、中立地帯について想起することは難しくなったが、日常が軍事境界線によってかたちづくられている『ドンバス』の情景は、現在戦場となったウクライナに直接につながっている。親露派の兵士たちはだれかれ構わず「ファシストだ!」といい、破壊された建物の写真をiPhoneで外国のジャーナリストに突きつけては「ミサイルはあっちから飛んできたんだぜ!」とこれ見よがしにウクライナ側を指し示す。彼らの姿を見ていると、戦争は2022年ではなく2014年に始まっていたのだという考えが頭に浮かぶ。

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グロテスクな現実をグロテスクなままに

 13のエピソードは次のようなものである。①フェイクニュースの撮影、②汚物をかけられる市長、③産院での物不足に対する看護士の抗議、④産院の院長の逃走、⑤占領地域の家を確かめに向かう人々、無理やりバスから降ろされる男たち、⑥ドイツ人ジャーナリストによる親露派部隊の取材、⑦避難壕の苦しい生活、⑧地域政府首長とあやしげな宗教団体代表の面会、⑨規律違反を行なった武装部隊隊員の懲罰、⑩占領地域政府による盗難車の接収、⑪捕虜に対する民衆の私刑、⑫結婚式、⑬ふたたびフェイクニュースの撮影。

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 特定の人物が全編をつなぐのではなく、あるエピソードの登場人物が次のエピソードにも登場し、そこに出てきた別の人物がさらに次のエピソードに顔を出す、といった具合に話はつながっていく。ロズニツァはこの手法を説明するために、ルイス・ブニュエルの『自由の幻想』(1974)を引いている。

 特定の主人公ではなく理念が全編を統一するという点では、セルゲイ・エイゼンシュテインの『ストライキ』(1925)もそうだとも述べている(ウクライナ紙《Den'》2018年8月2日付インタビュー)。なお評者は第1エピソードでの、メイク室の役者たちがそのまま屋外へと出ていく流れに、フェデリコ・フェリーニの『インテルビスタ』(1987)を想起した。フェリーニの話がスタジオ都市チネ・チッタを舞台とするのに対して、『ドンバス』は現実がフェイク・ニュースの作られるスタジオと化してしまっているわけだが。

 映画にくわえ、『ドンバス』は

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