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ロズニツァ監督『ドンバス』が活写する占領下ウクライナ東部の日常

池田嘉郎 東京大学大学院人文社会系研究科准教授(近現代ロシア史)

現在のウクライナに直接につながる情景

 物語の大半は親露派占領地域で進行するが、市役所での市長への抗議に焦点を当てた第2エピソードだけはウクライナ側の話である。市長が汚物をかけられて糾弾される姿が、テレビ局によってセンセーショナルに報道される。このエピソードには、ウクライナ側も政治は腐敗し、メディアはスキャンダル報道に明け暮れるだけという、ロズニツァの冷ややかなまなざしが感じられる。

©︎MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBE拡大©︎MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBE

 ウクライナ側の話が出てくるのは、ドンバス全域が親露派に占領されているわけではないからである。占領地帯とそうでない地帯の間には軍事境界線がしかれ、いくつもの検問がおかれている。人々は、汚職から逃れるため、故郷の家の様子を確かめに行くため、敵を攻撃するためなど、様々な理由で検問を越える。突然に起こる砲撃さえなければ、ドンバス全域が不思議な中立地帯のようにも見えてくる(中立地帯とは、ロシアの独立系メディア《Meduza》2018年5月9日付のアントン・ドーリンの映画評にある言葉である)。

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 ロシアとウクライナの間に本格的な戦争が始まってしまった今となっては、中立地帯について想起することは難しくなったが、日常が軍事境界線によってかたちづくられている『ドンバス』の情景は、現在戦場となったウクライナに直接につながっている。親露派の兵士たちはだれかれ構わず「ファシストだ!」といい、破壊された建物の写真をiPhoneで外国のジャーナリストに突きつけては「ミサイルはあっちから飛んできたんだぜ!」とこれ見よがしにウクライナ側を指し示す。彼らの姿を見ていると、戦争は2022年ではなく2014年に始まっていたのだという考えが頭に浮かぶ。

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筆者

池田嘉郎

池田嘉郎(いけだ・よしろう) 東京大学大学院人文社会系研究科准教授(近現代ロシア史)

1971年生まれ。1994年、東京大学文学部西洋史学科卒業。2005年、同大学大学院人文社会系研究科博士号取得。著書に『ロシア革命──破局の8か月』(岩波新書)、共編著に『世界戦争から革命へ(ロシア革命とソ連の世紀1)』(岩波書店)、『東大塾 社会人のための現代ロシア講義』(東京大学出版会)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです