「演出家つかこうへい 韓国で復活!」

つかこうへい=1987年撮影
『二代目はクリスチャン』が公開された1985年の9月。つかの姿は日本にはなかった。
韓国ソウルで、向こうの俳優たちを使って、芝居の稽古に入っていたのだ。つかが舞台に携わるのは、我々の劇団の解散公演から、ほぼ3年ぶりのことだ。
演目は代表作である『熱海殺人事件』。
つかはその顛末のようなものを、1990年に出した『娘に語る祖国』の中で綴っているが、そこの部分の大まかな事実関係に嘘はないとして、ひとつひとつのエピソードや登場人物の描写のようなものは、例によって「読み物」を意識したフィクションが大半である。
何よりもまず、『娘に語る祖国』では、この韓国行きは娘のみな子が誕生した翌々年となっているのだが、これがすでに嘘である。みな子が生まれたのは85年の12月14日で、つかが韓国での公演を終え、帰国した直後なのだ。
つかの中にどういった狙いがあったかはわからない。「語る」相手である、最愛の「おまえ」を日本に残し、オレは「祖国」で戦ったのだ――と、そんな形で〝物語〟を進めたかったということかもしれない。
「韓国で向こうの役者使って〝熱海〟やるぞ」
それをつかから聞いたのは、その年の5月頃だった。はっきり記憶にあるわけではない。そう言い切れるのは、これもまた雑誌『ホットドッグプレス』のおかげである。というのも、当時僕はそこで、前述した連載とは別に、つかの韓国公演を追ったルポのようなものを5ページにわたって書いているのだ。今回はその誌面のコピーが、僕の記憶をあれこれ補ってくれていることを、まず断っておく。
ちなみに記事のタイトルは「演出家つかこうへい 韓国で復活!」。
担当編集者だった原田隆がつけたものだ。
前回①志穂美悦子のために書いた『二代目はクリスチャン』 は こちら