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母に捧げるソウル公演、つかこうへい再び舞台へ

韓国で再び舞台演出を①

長谷川康夫 演出家・脚本家

ソウルに移住した母のために、芝居を

 舞台からは手を引いたはずのつかが突然、「祖国」韓国で「復活」すると知ったときは、正直、驚いたし、興味津々だった。しかし「本当ですか!」と目を輝かせたり、「どういういきさつで?」と細かく訊ねたりすることは、僕とつかこうへいの間にはない。いつも通り「はぁ……」と曖昧な返事をするだけだ。

拡大『熱海殺人事件』ソウル公演を報じた朝日新聞(1985年9月13日夕刊)
 だから上演決定までの経緯など、今でもよくは知らない。ただそんなやりとりがあったのは、つかが初めて韓国を訪れ、帰って来てすぐだったことは間違いない。

 つかは『娘に語る祖国』の中で、まず韓国のテレビ局が、自分のドキュメンタリーを撮りたいと言ってきたと書いている。一度目の韓国行きはたぶんそのためだったはずだ。ところがそれきりそのことにはまるで触れず、唐突に、初めて韓国に行ったのは、はなから芝居をやるため、ということになっているのだ。ドキュメンタリーからなぜ芝居の公演になったのか、そんな説明も一切ない。

 つかが亡くなって1年後の2011年、韓国のテレビ局MBCが、週一のドキュメンタリー枠で「つかこうへい」を取り上げ、放送されている。僕がその番組を観ることが出来たのはつい最近である。かつて文藝春秋社のつかこうへい担当だった明円一郎が、退職後の韓国留学の折にコピーを手に入れ、それをダビングさせてもらったのだ。

 番組の中では、1985年のソウル版『熱海殺人事件』公演が紹介され、25年後の出演者たち4人のインタビューが長々と使われているのだが、その前段として、公演前、つかの生まれて初めての韓国行きの映像が入る。たぶんそれが、つかの言う「韓国のテレビ局から話のあった」ドキュメンタリーの一部なのではないか。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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