2022年06月02日
世代的に、3つの音楽ジャンルの黎明期と立ち会ってきた。パンク、レゲエ、そしてヒップホップだ。
これらに共通するのは、すべてがカウンター・カルチャーであるということ。マスをターゲットにしたポップ・カルチャーとは対極にあるからこそ、未成熟だった自分の感性に響いたのではないかと感じているのだ。同世代で、似たようなことを感じていた方は決して少なくないだろう。
そして、(いささか極論ではあるのだが)とくにパンクを通ってきた人には、もうひとつ共通点があるのではないかと思っている。すなわち、「ザ・ポーグスを体験してきたか否か」だ。
アイルランドを出自とするこのバンドのあり方は、本当の意味でパンクそのものだったからである。しかもそれは、ケルト音楽とパンクをミックスさせた“アイリッシュ・パンク”としての音楽性だけを指しているわけではない。中心人物であり、オリジナリティの塊でもあるシンガーのシェイン・マガウアンの存在自体が、まさにパンクそのものなのだ。
彼の半生を追ったジュリアン・テンプル監督作品『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』を観て、改めてそう実感した。テンプルはパンク・ムーヴィーの古典である1979年作品『セックス・ピストルズ/グレート・ロックンロール・スウィンドル』で知られる音楽ドキュメンタリーの巨匠だが、これもまさに彼にしか撮ることのできなかった作品だといえる。
1970年代中期に誕生したパンク・カルチャーには、ちょうど思春期まっただなかにあった私も大きな影響を受けた。そこから教わったことは多いが、特に重要だったのは「従来の価値観に縛られる必要はない」という考え方だ。なにかと反発したくなる時期にあったからかもしれないが、ともあれそこから、パンクは私にとって大切なもののひとつとなっていったのだ。
あのころパンクは、社会に(少なくとも音楽業界に)多大な影響を与えた。“パンク以前かパンク後か”“パンクを体験しているか否か”が、そのカルチャーに関わる人間の質を判断する基準にすらなった。ちょうど、不良が不良の匂いを感じ取りやすいことと似ているかもしれない。「あ、こいつはパンクを通ってきているな」と感じさせる“匂い”は確実にあり、そこから人との新たな関係が生まれていったりもしたのである。
そのくらい、パンクの功績は大きかったのだ。しかし、だからこそ絶望することもあった。当然の流れではあるのだが、ビジネスとして肥大化していくほど、パンクの一部はその本質を失っていったからだ。たとえばジェネレーション・Xというバンドのシンガーを経てソロに転身したビリー・アイドルなどは、“パンクっぽいイメージ”を売りにした好例だ。
ファンの方には申し訳ないが、個人的には、カウンター・カルチャーをだめにするのはああいうタイプの
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