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必見! 阪本順治の『冬薔薇』──荒んだモラトリアム期の若者を活写

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 阪本順治監督の新作、『冬薔薇(ふゆそうび)』が公開された。黒沢清、濱口竜介らとともに日本映画界を牽引する阪本のフィルモグラフィーの中でも、屈指の傑作である。──舞台は横須賀の港町。主人公の渡口淳(伊藤健太郎)は、25歳になる今まで定職に就いたことがなく、海運業を営む両親とも心が離れている。地元の不良グループとつるんで虚勢を張り、デザイナー志望だと口にしているが、在籍中の服飾専門学校にもほとんど通わず、友人や女から金をせびっては自堕落に生きている。

 淳はいわば、荒(すさ)んだモラトリアム期にあるのだが、阪本順治は、淳と家族、親類、友人、不良グループらとのギクシャクした不安定な関係を、突き放すような、ささくれたようなタッチで描いていく。感傷的なきれいごとを排した、かといってシニカルな残酷さ一辺倒でもない絶妙な描法だが、それによって、未だ何者でもない淳の「寄る辺なく漂う」日々が、リアルに浮き彫りにされる。

『冬薔薇(ふゆそうび)』 6月3日(金)より、東京・新宿ピカデリーほか全国ロードショー 配給:キノフィルムズ ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS 
『冬薔薇(ふゆそうび)』 6月3日(金)より、東京・新宿ピカデリーほか全国ロードショー 配給:キノフィルムズ ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS

 淳の「寄る辺なさ」については、阪本自身、インタビューでこう語っている──「主人公が寄る辺なく漂う話にしたいという基本線は、まず自然に〔伊藤健太郎と面接して〕固まりました。自分とも向き合えず、本当の意味で他者と関わり合った経験もなく、ただ流されるままに生きてきた青年が、答えを見つけられないまま彷徨う様子を描こうと」(プレス資料:なお、伊藤健太郎には車の衝突事故で問題になった過去があるが、阪本は伊藤にアテ書きして本作の脚本を執筆したという)。

キャラクター・職業・境遇が丁寧に描かれた群像劇

 もっとも『冬薔薇』は、淳の内面を掘り下げる一人称的な心理劇ではない。前述のように、さまざまな他者との関わりを通して淳の鬱屈を描く、ある種の「群像劇」(阪本、同前)である(阪本は前記インタビューで『冬薔薇』を、「寄る辺なき自尊心を抱えた者たちの群像劇」と述べているから、それで言えば、本作は未だ職業的アイデンティティ──人に自尊感情をもたらしうるもの──を確立しえない若者らの群像劇だ)。

 事実、淳の周囲の人間たちのキャラクター・職業・境遇が丁寧に描かれるので、本作は多焦点的なドラマの重層性と広がりを示す。たとえば、忙しさにかまけて淳と向き合わない父親と母親を、それぞれ小林薫と余貴美子が、諦めと疲労の入り混じった表情と佇まいで好演する。

『冬薔薇(ふゆそうび)』 ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS 
『冬薔薇(ふゆそうび)』 ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
『冬薔薇(ふゆそうび)』 ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS 
『冬薔薇(ふゆそうび)』 ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS

 そして彼らが営むのは、ガット船と呼ばれる船で大量の土砂を埋め立て地まで運ぶ海運業だが、父親/小林薫はその船(「渡口丸」)の船長で、母親/余貴美子は船会社の事務所を切り盛りしている。しかし、時代とともにガット船の需要は減り、後継者不足も深刻だが、淳には家業を継ぐ気はまったくない。

 「渡口丸」の乗員はといえば、淳の良き理解者でもある最年長の機関長・沖島(石橋蓮司)、俳句好きの航海士・永原(伊武雅刀)、最年少55歳の甲板員・近藤(笠松伴助)、失業中だったが「渡口丸」の乗員として雇われる淳の叔父・中本(眞木蔵人)といったベテランの面々で、渋いアンサンブルを披露する(彼らは社縁というコミュニティを形成しているわけだ)。

『冬薔薇(ふゆそうび)』 ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS 
『冬薔薇(ふゆそうび)』 ©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS

 さらに、淳が加わっている不良グループのリーダー、美崎(永山絢斗)のいびつな小悪党ぶりも目を引く。序盤におけるグループ同士の衝突の最中、襲撃を仕掛けた美崎は、危険を避けて一人だけ帰ってしまう。その衝突の際、淳は角材で殴られ、膝に錆びた釘が突き刺さるという大怪我を負い入院するが、見舞いに来た美崎は、淳の怪我より自分の安全ばかりを気にかけている。

 イキがってはいるが、狡猾で保身に長けた小心者の美崎の人物像には、

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