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今、「はじめてのおつかい」のような子どもの「お使い」は不可能だ

「お使い」は子どもの社会性を育むために不可欠なのだが……

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

問題は車!

GOLFX/Shutterstock.com拡大kornnphoto/Shutterstock.com

 「おつかい」では、たいていの場合、買い物の場所として、商店街の残る比較的人通りの多い地区が選ばれていると判断される。そこには人目がある。日本でも幼児をねらう不審者はいるが(「小児性犯罪をその学校で調査するのは最悪の選択である」)、彼らはふつう人目の多い場所には出没しないものである。

 人目があろうと白昼堂々と不審者が出る国もあるという。それに比べれば日本はまだよい方だが(後述する外国人の感想はほとんどこの問題に集中する)、子どものお使いに関する限り、日本が特によい状況にあるわけではない。人目の多い場所であろうと、車──その重量と速度によって人命を棄損しうる鋼鉄とガラスのかたまり──がおびただしく走るのは、明確な事実だからである。運転者あるいは子どもに一挙一動の過ちが生じれば、子どもは直ちに命にかかわる状態においこまれる。

 だがその苛酷な現実が「おつかい」ではっきりと示唆されているだろうか。

 たいていの場合、子どもは歩道や路側帯を歩いて買い物に行く。後述のように実はこれさえ危険なのだが(特に路側帯の場合)、「おつかい」ではそうした雰囲気をひしと伝えるものは何もない(伝えれば番組自体が成り立たなくなるだろう)。

 加えて「おつかい」では、周囲を走る車がほとんど映されない場合がある。映されたとしても日常的な光景とされてしまい、子どもに対するその危険性がまともに問われることはない。だがそれは大きな誤りだ。

 本来なら、「これだけ危険なので、実際には幼児のお使いはおすすめできません。でもそれで良いのでしょうか」というテロップでも流すべきだと思うが、そうした例はないだろう。だが幼児のお使いを売りにして、それが実際に、安全にできるかのような幻想を振りまく以上、そうした配慮・問題提起は不可欠なはずである。

 要するに、お使いをめぐり親にとって怖いのは車である。特に、お使いに出た子どもが親の不在を思い出してパニックに陥れば、どんな危険が及ぶかは想像をこえる。なのに、「おつかい」のように、親が最も恐れる状況をただの風景の一部にし、本質的問題を不可視にしてしまえば、この番組で行われているのはお使いではもはやなく、テレビ局スタッフが同行したただの買い物でしかない。

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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