24歳で書いた悪漢物語『うま』、おもしろさ奥深く
2022年06月14日
テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に出品されて話題になった劇作家・井上ひさしの未発表戯曲『うま ―馬に乗ってこの世の外へ―』が、月刊文芸誌「すばる」(集英社)の2022年7月号(6月6日発売)に掲載された。亡くなって12年、仏教でいえば十三回忌の直前にひょっこり現れた無名時代の原稿は、若き日の井上の筆の勢いを示し、後の作品につながる様々な「種」といくつかの「謎」をはらむ戯曲だった。
「すばる」の同じ号に載った妻・井上ユリさんのエッセイによれば、原稿は次のような経緯で「発見」された。
ユリさんは今年1月末、テレビ東京のディレクターからの電話で、原稿の存在を知った。「なんでも鑑定団」に井上の未発表原稿が持ち込まれたという連絡だった。かつて井上が「劇団東京小劇場」の演出家(故人)に『うま』の原稿を渡し、それを、いずれ演出をしたいという俳優が預かったが、上演は実現しなかった。俳優も亡くなって16年たった昨年、妻が遺品の中から原稿を見つけた。「井上廈(ひさし、本名)」という署名があり、筆跡、内容などからも井上ひさし作品であることが確認され、3月15日番組が放送された。その後、原稿をユリさんが購入。4月10日に山形県川西町で開かれた井上をしのぶ「吉里吉里忌」で展示された。
『うま』はA4判、43字×18行という珍しい体裁の原稿用紙162枚に書かれている。上下に余白をとって1行30字にして使い、本文は400字詰め原稿用紙に換算すると220枚ほど。厚紙で表紙をつけて製本され、裏表紙の内側に〈第一稿 昭和34年6月21日〉と鉛筆書きの日付があった。
原稿の日付1959年6月、この時井上は24歳で上智大学の最終学年だった。
井上は53年に上智大学文学部ドイツ文学科に入学したが、すぐに休学。当時岩手県にいた母のもとに帰り、国立療養所で働いた後、56年春に外国語学部フランス語科に復学した。その年の秋から浅草のストリップ劇場フランス座で文芸部兼進行係のアルバイトを始めた。58年にはフランス座をやめて、東京・四谷にあったカトリック系出版社の倉庫で宿直の仕事に。そこで盛んに放送局の懸賞脚本などを執筆し、その年の11月に戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が文部省主催の芸術祭賞脚本奨励賞を受け、12月に雑誌「悲劇喜劇」(早川書房)に掲載された。これが活字になった初めての作品で、井上の戯曲全集「井上ひさし全芝居」(全7巻、新潮社)は、この作品から始まっている。
翌59年には「悲劇喜劇」が主宰する戯曲研究会に参加。9月に『さらば夏の光よ』が劇団同人会の勉強会で上演され、「悲劇喜劇」11月号に掲載された(「全芝居」では2番目に収録)。『うま』が1959年6月に書かれたとすると、この少し前ということになる。
これ以降の約10年間はNHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』などラジオ、テレビの放送台本が仕事の中心となり、69年『日本人のへそ』(テアトル・エコー初演、「全芝居」では3番目に収録)で本格的に劇作家デビューするまで、年譜などに演劇関連の記載はない。
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