つかこうへいが1985年に韓国で手掛けた『熱海殺人事件』めぐるシリーズ。今回は、急に呼び出されてソウルへ飛んだ俳優、石丸謙二郎の巻。石丸に課せられた使命と、彼を待つ運命は――。
これまでの回
「母に捧げるソウル公演、つかこうへい再び舞台へ」は、こちら。
「つか演劇の本質照らしたソウル版『熱海殺人事件』」は、こちら。
「日韓を結んだ大プロデューサーとつかこうへい」は、こちら。
絶品だったお母さんのキムチ
順調に進むつかの稽古に安心し、〝ソウル熱〟に見事に感染した上で、僕と原田は一度目の韓国訪問を終えた。
お土産は、つかのお母さんが自ら漬けた大量のキムチだった。それまでも僕は幾度となく、つかのもとに福岡から送られてきた手作りのキムチをもらってきた。つかはよほど自慢らしく、気に入った編集者たちにもよく土産に持たせていた。
決しておべっかではなく、僕はつかの母が漬けたキムチが、生涯食べたどのキムチよりおいしいと、ずっと思っている。中でも、このときソウルのマンションで本人から直接手渡された大きな瓶詰は、固めの白菜や色の濃い唐辛子など、素材がやはり日本とは別物なのか、それまで以上に僕を感激させるものだった。

石丸謙二郎
これが無くなる頃には再びソウルに戻るのだと、毎日、瓶の中身を確かめながら、一人暮らしの部屋でキムチを食べ続ける中、突然、成田空港にいるという石丸謙二郎から電話が入る。
『ソウル版・熱海殺人事件』の本番まで、10日ほどになった頃だ。
「つかさんから呼ばれて、これから韓国行ってくる。振り付けをやってくれってさ」
石丸の声は嬉しそうだった。それがつかこうへいの舞台に立つきっかけとなったように、ダンスは石丸の得意分野だ。
新しくなった『熱海』の中身などを教えてやり、また〝ソウル熱〟の仲間が増えるのかと、内心ニヤニヤしながら受話器を置いた。