世界の現実を知り、痛みを分かち合うアニメーション
2022年06月15日
作品の冒頭に以下の字幕が表示される。
「これは実話である 登場する人々の安全のため名前と場所を一部変更した」
本作『FLEE フリー』は実在の人物を元に描かれた長編アニメーションだが、ドキュメンタリー映画としても広く認知された。第94回(2022年)アカデミー賞では、長編ドキュメンタリー賞、国際長編映画賞、長編アニメーション賞の3部門にノミネートを果たした。受賞は逃したが、本来ジャンルの異なる部門を横断したノミネートは史上初の快挙であった。
『FLEE フリー』 原題:Flugt 英題:FLEE
2021年/デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フランス合作/89分
東京・「新宿バルト9」「グランドシネマサンシャイン 池袋」ほかで公開中
監督/ヨナス・ポヘール・ラスムセン
製作プロダクション/Final Cut for Real
製作総指揮/リズ・アーメッド、ニコライ・コスター=ワルドー
© Final Cut for Real ApS, Sun Creature Studio, Vivement Lundi!, Mostfilm, Mer Film ARTE France, Copenhagen Film Fund, Ryot Films, Vice Studios, VPRO 2021 All rights reserved
公式サイト
デンマークの首都コペンハーゲンに暮らす30代半ばの男性アミン・ナワビ(仮名)。彼は、かつてアフガニスタンのカブールに暮らす快活な少年だった。しかし、ハリウッドの男優に惹かれ姉の服を着て走り回っていた日々は突然終わる。内戦の混乱で父は既に連行されており、家族はやむなくソ連に亡命する。一家はモスクワに不法滞在し、長兄の待つスウェーデンへの密入国を何度も試みる。アミンは、紆余曲折を経て孤児の難民と偽ってデンマークに密入国する。
その後研究者となったアミンは、同性パートナーとの同居生活を前にして戸惑う。出自を隠し、他者に心を閉ざし続けてきた彼は、親友の映画監督に過去の辛い出来事を語ることで自身を変えようとする。
どこにも安住出来ない難民としての苦悩と、家族にも話せなかったゲイとしての葛藤。言わば二重の十字架を背負ったアミンの人生は、理不尽な世界情勢に翻弄されてきた。ソ連の支援を受けたアフガニスタン政府とアメリカの支援を受けたムジャヒディンの内戦、密入国業者の暗躍、逃亡の失敗と監禁、マクドナルド・モスクワ1号店の開店、腐敗したロシア警察による暴力、偽造パスポートで搭乗したウクライナ航空便──等々、少年の実体験はどれも生々しい。
アミンの声は本人のものであり、聞き手を務めたのはヨナス・ポヘール・ラスムセン監督である。ラスムセン監督は15歳の時にアミンと出会い、その後親友となった。けれども、監督がアミンから過去の話を聞いたことは一度もなかったという。ラスムセン監督の祖先もロシアを離れたユダヤ系移民としての過去を持つ。
アミンたちの暮らしの背後にあった各国情勢は現在と地続きだ。去る2月24日以来続くロシア軍の侵攻により、ウクライナ国外へ逃れた難民は700万人を超えた(2022年6月9日現在)。5月16日にマクドナルドはロシアから恒久的に撤退と発表。2021年に再びタリバンが政権を握ったアフガニスタンでは、約70万人が家を失い、340万人が国内で避難民となっている(2022年3月現在)。今もアミンと同じように「FLEE=逃亡」によって苦境に立たされている難民が無数に実在する。
しかし、本作は政治的告発や特定の主義主張を意図とした作品ではない。むしろ、個人の心理的解放や幸福についての映画だ。
作中には淡い恋心、離れても互いを思う家族愛、そしてパートナーとの絆など、まさにマクロからミクロまで多層的なエピソードが散りばめられている。そして、ピンクのヘッドフォンから流れるアメリカン・ポップスが生きる希望を与えてくれる。アミンは悩みながら前進しようともがく普通の若者でもある。
ラスムセン監督は実写ドキュメンタリーでキャリアを重ねており、長編アニメーションは本作が初となる。アニメーション制作を担ったデンマークのSun Creature Studioとアニメーション監督のケネス・ラデケア氏も長編制作の経験がなかったという。
Sun Creature Studioは、ケネス・ラデケア氏が共同監督とリードアニメーターを務めた2D短編『The Reward』(2013年)をシリーズ化するために、2014年に仲間と創設した歴史の浅いスタジオだ。2015年に『The Reward:Tales of Alethrion』としてシリーズ化を果たして以降も様々な技法のアニメーションが制作されており、2D作画へのこだわりには日本の影響も色濃く感じられる。主な作品傾向は勢いの良いアクションやファンタジーで、本作とは全く違う。
3D作品としては、映画監督ティム・ミラーとデヴィッド・フィンチャーが製作総指揮を務めたNetflixのオリジナル短編アニメーションシリーズ『ラブ、デス&ロボット 第1シーズン 歴史改変(原題/Alternate Histories)』(2019年)がある。ヒトラーが別の時空間で死に至る可能性をシニカルに綴ったCG作品で、平面的キャラクターと立体的背景が同居する凝った様式だった。
本作の表現の幅広さは、リアリズムを追求するラスムセン監督の要望に、Sun Creature Studioが柔軟な発想のアニメーションで応えた結果と言えそうだ。
人物のデザインは、手描きのセル画調(2Dセルルック)のキャラクターとして抽象化・象徴化されており、安全な匿名性が確保されている。線で括られて色面で塗りつぶされたキャラクターは、フォトリアル3D-CGのような過度の現実感に傾くことがない。
本作のアニメーションの動きは硬質かつ省略的で、ほとんどのシーンで動きのなめらかさに欠ける。まるで原画だけで動画が省かれているような印象だ。同一カット内で動きが繋がっていない(ポーズとポーズの間が数秒分飛んでいる)シーンもある。それはレコードの針跳びのようで、流れとしては違和感がある。要するに「引っかかる」。このように動画を省略する技法の場合、ディゾルヴ(日本ではオーバーラップとも呼ばれる)によって前後の動きをつなげて見やすくする加工法を用いることがあるが、それもやっていない。
クレジットを見ると、作画監督とレイアウトの担当者はいるが、通常日本の「アニメ」で不可欠な「原画=key animator」「動画=inbetweener」の役名がない。つまり意図して、動画の工程自体に重きが置かれていない。
作画枚数をかけて滑らかに動かすためには、膨大な資金・技術・労力・時間がかかる。しかし、動きにかかわらず、枚数を徹底して減らせば低予算でも長編は制作し得る。本作の製作費は約340万ドル、日本円で4億5700万円程度。ラスムセン監督によればドキュメンタリーの5倍の予算だという。長編アニメーションとしては安値だが、それでも日本国内の長編アニメーションの平均的製作費
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