『FLEE フリー』──アフガニスタンを逃れた男性の記憶と幸福
世界の現実を知り、痛みを分かち合うアニメーション
叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師
二重の十字架を背負った人物が幸福を求める実話

© Final Cut for Real ApS, Sun Creature Studio, Vivement Lundi!, Mostfilm, Mer Film ARTE France, Copenhagen Film Fund, Ryot Films, Vice Studios, VPRO 2021 All rights reserved
デンマークの首都コペンハーゲンに暮らす30代半ばの男性アミン・ナワビ(仮名)。彼は、かつてアフガニスタンのカブールに暮らす快活な少年だった。しかし、ハリウッドの男優に惹かれ姉の服を着て走り回っていた日々は突然終わる。内戦の混乱で父は既に連行されており、家族はやむなくソ連に亡命する。一家はモスクワに不法滞在し、長兄の待つスウェーデンへの密入国を何度も試みる。アミンは、紆余曲折を経て孤児の難民と偽ってデンマークに密入国する。
その後研究者となったアミンは、同性パートナーとの同居生活を前にして戸惑う。出自を隠し、他者に心を閉ざし続けてきた彼は、親友の映画監督に過去の辛い出来事を語ることで自身を変えようとする。
どこにも安住出来ない難民としての苦悩と、家族にも話せなかったゲイとしての葛藤。言わば二重の十字架を背負ったアミンの人生は、理不尽な世界情勢に翻弄されてきた。ソ連の支援を受けたアフガニスタン政府とアメリカの支援を受けたムジャヒディンの内戦、密入国業者の暗躍、逃亡の失敗と監禁、マクドナルド・モスクワ1号店の開店、腐敗したロシア警察による暴力、偽造パスポートで搭乗したウクライナ航空便──等々、少年の実体験はどれも生々しい。
アミンの声は本人のものであり、聞き手を務めたのはヨナス・ポヘール・ラスムセン監督である。ラスムセン監督は15歳の時にアミンと出会い、その後親友となった。けれども、監督がアミンから過去の話を聞いたことは一度もなかったという。ラスムセン監督の祖先もロシアを離れたユダヤ系移民としての過去を持つ。

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アミンたちの暮らしの背後にあった各国情勢は現在と地続きだ。去る2月24日以来続くロシア軍の侵攻により、ウクライナ国外へ逃れた難民は700万人を超えた(2022年6月9日現在)。5月16日にマクドナルドはロシアから恒久的に撤退と発表。2021年に再びタリバンが政権を握ったアフガニスタンでは、約70万人が家を失い、340万人が国内で避難民となっている(2022年3月現在)。今もアミンと同じように「FLEE=逃亡」によって苦境に立たされている難民が無数に実在する。
しかし、本作は政治的告発や特定の主義主張を意図とした作品ではない。むしろ、個人の心理的解放や幸福についての映画だ。
作中には淡い恋心、離れても互いを思う家族愛、そしてパートナーとの絆など、まさにマクロからミクロまで多層的なエピソードが散りばめられている。そして、ピンクのヘッドフォンから流れるアメリカン・ポップスが生きる希望を与えてくれる。アミンは悩みながら前進しようともがく普通の若者でもある。

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