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「沖縄を返せ」~政治情勢につれて変容した歌があぶり出す沖縄問題の核心 前編

【48】「身を捨つるほどの祖国はありや」というウチナーからヤマトへの反問歌

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

「沖縄を返せ」1956年
 作詞 全司法福岡高裁支部、作曲 荒木栄

 沖縄がアメリカから日本に「復帰」して今年の5月15日で50年を迎えた。マスコミ各紙の世論調査によると、7〜8割の沖縄県民が「復帰してよかった」と回答しているが、ほんとうにそうなのだろうか? 沖縄の人々の意識の表層ではそうかもしれないが、深層には複雑な思いがないまぜになっているのではないか。

 そんな疑念を抱かせるのは、「復帰」して半世紀の間に、日本とアメリカとの距離は縮まるいっぽうで、「本土」と沖縄とのそれは、「復帰」前よりも遠くなるばかりだからだ。

 そうした政治状況の移り変わりにあわせて自らを変容させながら、それをあぶり出し、本土の住人たちに自戒を迫る唄がある。

 「沖縄を返せ」だ。

拡大沖縄祖国復帰協議会(復帰協)主催の復帰要求県民総決起大会で、「アメリカは沖縄から出ていけ」などのプラカードを掲げ、「沖縄を返せ」の歌を歌って繁華街をデモ行進した参加者=1968年4月28日、那覇市寄宮(現・寄宮1丁目)の与儀公園近く

日本・米国・沖縄の距離の変化を示す歌

 50年前までは、本土と沖縄の集会やデモで、さかんに歌われていた。当初の歌詞は以下のとおりであった。

♪固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ
われらは叫ぶ 沖縄よ われらのものだ(沖縄は)
沖縄を返せ 沖縄を返せ

 50年間で、この「沖縄を返せ」はどうなったか?

 1972(昭和47)年の「復帰」後は、本土でも沖縄でもしばらく歌われなくなったが、やがて歌詞の一部が二度にわたって変えられて、ふたたび歌われるようになった。

 一度目は、掉尾の「♪沖縄を返せ 沖縄を返せ」「♪沖縄を返せ 沖縄へ(に)返せ」に。

 二度目は、冒頭の「♪民族の怒りに燃える島」「♪県民の怒りに燃える島」に。

 たかが「を」を「へ(に)」に、「民族」を「県民」に変えただけのマイナーチェンジにみえるが、そうではない。ここには、「本土並み核抜き返還」という“せめてもの約束”を踏みにじられたことへの沖縄人の根源的な怒りと共に、この半世紀の日本・アメリカ・沖縄の三者の距離感の大いなる変化が隠されている。

 ひとつの歌が政治情勢につれながら、これほどの有為転変をみせた例は稀有といっていい。

 本稿では、この歌の変容ぶりをひもときながら、未解決どころかますます混迷とズレを深める「沖縄問題」の核心のありかを探ってみたい。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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