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「沖縄を返せ」~政治情勢につれて変容した歌があぶり出す沖縄問題の核心 後編

【49】「身を捨つるほどの祖国はありや」というウチナーからヤマトへの反問歌

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

「少女暴行事件」への抗議集会で歌われて

 折しも、この年の9月、アメリカ海兵隊員による「少女暴行事件」が発生した。県民の1割ちかくの8万5千人が怒りの声を上げた抗議集会では、大工が「沖縄を沖縄へ返せ」と変えたフレーズが高らかに歌われ、若い世代の心をもつかんだ。

拡大米兵の暴行事件に抗議する県民総決起大会の会場をぎっしりと埋めた参加者=1995年10月21日、沖縄県宜野湾市の海浜公園、本社ヘリから

 その申し子ともいえる証言者がいる。「復帰」5年後の1977年沖縄生れで、沖縄テレビの看板キャスターの平良いずみである。平良はメディアに興味をもったきっかけをこう述べている。

 「1995年に沖縄海兵隊員が起こした少女暴行事件を取り上げたTBSの『ニュース23』でキャスターの筑紫哲也さんがネーネーズの『黄金の花』をエンディングテーマに使ったり、大工哲弘さんが『沖縄を返せ 沖縄を返せ』という歌詞を『沖縄を返せ 沖縄へ返せ』と替えて歌ったことを取り上げたりしていて『テレビってすごい。くだいて説明してくれるので考えるきっかけを与えてくれた』と思ったんです」(沖縄テレビのホームページ2020年3月24日より)

史上最悪の「公約違反」だった「本土並み核抜き返還」

 大工の「替え歌バージョン」が本土へ伝えられた契機も、筑紫哲也の「ニュース23」であった。私自身は、この番組をみた友人から聞かされて、「替え歌」の存在を知ったと記憶しているが、本土の住人にとって最も痛いところをつかれてたじろいだ。

 大工の「替え歌」のリリースは、沖縄が望んだ「本土並み核抜き返還」がいかに史上最悪の「公約違反」であったかが、明々白々となる時期とちょうど重なっていた。

 本土の米軍基地は次々と返還される代わりに沖縄のそれは残され、気づいてみると、日本の国土の0.6%の南の端の島々に日本の米軍基地の70%超が集中、強姦事件をはじめ米兵による凶悪事件が続発した。さらに、当初は佐藤栄作首相が「核抜き」を公約したにもかかわらず、実際はニクソン米大統領と「緊急事態時には米軍の沖縄への核兵器持ち込みを認める」との密約が交わされていたことも暴露された。

 大工の「替え歌」は、これだけの圧倒的ファクトを前に、「それでも(日本に)沖縄を返せ」は正しかったのかと問いかけていた。
「本土は沖縄を犠牲にしてぬくぬくと平和を謳歌してきたではないか」
「それを許してしまった責任は本土のすべての住人にある」
「いまやお前たちの約束違反は明らかなのだから、すべてを反故にして、沖縄を(日本ではなく)沖縄へ返せ」
と迫ったのである。

 沖縄の本土「返還」に際し、本土の人が「沖縄を返せ」を歌ったり、歌わなかったりした事情は、前稿「『沖縄を返せ』~政治情勢につれて変容した歌があぶり出す沖縄問題の核心 前編」で触れたが、この大工の問いかけに対して、本土の人の「平和な沖縄を返せという気持ちをこめてこの歌を歌ったのだ」、あるいは「沖縄を日本に返してもろくなことはないと分かっていたから、それを歌わないことで連帯したのだ」といった言い訳は、端から聞いてもらえそうにない。

 大工哲弘によるたった一字の「歌い換え」には、それほどのインパクトがあったのだ。

拡大米兵の暴行事件に抗議する県民総決起大会で、沖縄の言葉で「ニジティン  ニジララン(もうこれ以上我慢できない)」と書かれたプラカードなどを掲げる参加者たち=1995年10月21日、沖縄県宜野湾市の海浜公園

「沖縄のものは沖縄に返すのが当然」だが……

 かつて「革新勢力」の一員として、「沖縄を返せ」を歌った人たちにも、大工の替え歌が深く鋭く刺さったらしく、当時の新聞には、かつて本土で沖縄”返還”闘争にかかわった、ある教員(52歳)による自戒の投書が寄せられている。(朝日新聞1996年5月14日朝刊)

 この二十年の間に沖縄がどのようであったのか、私たちは深い関心を寄せることがなかった。日本中が開発に明け、バブルに踊り、「しあわせ競争」に走った。ふるさとの田畑、山野に思いをはせることもなく、隣の人の孤独に思いやることもなかった。そうしたとき、沖縄から強い怒りの声があがった。その県民集会で、あの歌が歌われていた。聞いていて、はっと胸を突かれた。

 歌詞の最後が一文字違うのである。

 沖縄を返せ 沖縄を返せ と、私たちは歌った。

 しかし、沖縄県民は、沖縄を返せ 沖縄へ返せ と歌うのである。

 そうなのだ。沖縄のものは沖縄に返すのが当然なのだ。日本に返ったのだから、日本政府の思うがままでよいのではない。本土側の人間の都合をおしつけられてよいものではない。

 先日も東京での集会では私たちは「を」と歌っていた。沖縄からの歌声に、深く恥じるものがあった。

 ここで注目すべきは、最後の「先日も東京での集会では私たちは『を』と歌っていた」のくだりであろう。はからずも、「復帰」から20年以上をへても、本土では「沖縄からの歌声に深く恥じる」のはごくごく少数で、沖縄の怒りの炎は本土では小火(ボヤ)ていどにしか受け止められていないことを物語っている。

 沖縄の民謡歌手が仕掛け、本土の著名なニュースキャスターがバックアップしても、本土の住人の多くは、聞く耳も歌う口も持たなかったのである。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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