[18]死者とともに暮らすという文化の衰退
2022年06月29日
仏壇が家にあるという家庭は、減少の一歩をたどっている。
日本人の仏壇の保有率について、第一生命経済研究所が2012(平成24)年に調査しているが(「宗教的心情としきたりの関連」)、仏壇が「ある」と答えた人が46.7%、子どもの頃に「あった」と答えた人が66.2%だった。
その後も、仏壇仏具関連業者などによる複数の調査があるが、ほとんどが40%前後の普及率となっている。
また経済産業省の工業統計調査によると、1997(平成9)年に855億4200万円だった宗教用具製造業の市場規模が、2019(令和元)年には183億3000万円まで縮小している。
仏壇という文化は、少しずつではあるが、廃れていっていると言わざるを得ない。
仏壇を置く家が減った理由としてまず挙げることのできるのが、住宅事情である。
特に、新しく建てた住宅の中には、和室が無いことが多く、それが仏壇を置きにくい原因となっている。また、マンション住まいだったり、一戸建てに住んでいても小規模だったりして、仏壇を置くスペースそのものが無いということも少なくない。
住環境が、仏壇を置くことを許さないということである。
もうひとつの理由は、3世代同居が無くなりつつあるということだ。
仏壇を守る役割は、家族の中で年齢の高い人が担うのが一般的である。祖父母、息子夫婦、孫がいっしょに暮らす家であれば、祖父もしくは祖母が仏壇を守っていた。次の世代は、それを見ながら仏壇に馴染みつつ、仏壇の大切さを学んできたのである。
ところが核家族化が進むと、祖父母の家と、その息子夫婦と孫の家は別々となり、若い世代の家には仏壇が無くなる。つまり仏壇の無い家が生まれるということである。
それを何世代か繰り返すことで、仏壇が無いのが当たり前ということになっていくのだ。
そしてもうひとつ、そもそも仏壇を必要と感じていない人が増えていることがある。なぜ、わざわざ高い費用をかけて、大きな仏壇を部屋に置かなければならないのか、ということだ。そうなると、新しく仏壇を買おうという人が減っていくのは、自然な流れと言わざるを得ないのである。
これは社会の変化としてやむを得ないことだが、仏壇が家の中で果たしてきた役割を考えると、少し残念な気もする。
日本人の多くは仏教徒だが、その大部分は仏教の教義に関心を持っておらず、死者供養が最大の関心事である。そして日常的に死者供養を支えてきたのが仏壇であり、それを通して日本人は仏教に親しんできたと言える。
供養は、あの世でも死者が安らかであることを祈る行為であり、それは死者への優しさと愛情に満ちている。同時に、あの世から私たちを見守ってくれることを願う行為であり、それは死者とのつながりを失いたくないという思いに満ちているのだ。
仏壇の前に座り、線香を焚き、手を合わせることで、人は死者と向きあうことができた。それは、ごく当たり前の日常であり、朝、家族に「おはよう」と言うのと同じくらい自然なことだった。時に、亡くなった家族が大好きだったもの、お菓子やお酒を供えたり、いただき物を供えたりすることもある。孫の成績表や卒業証書を供えるといった風景も、以前は当たり前に見ることができたのである。
仏壇があるからこそ、死者と会話することができ、それが安らぎをもたらしてきたと言える。仏壇は死者と私たちをつなぐ装置であり、この世とあの世をつなぐ装置でもあったのである。
そしてこうした習慣が、信仰を育み、謙虚さや優しさをも育んできた。仏壇は間違いなく、日本人の精神性に大きな影響を与えてきたのである。
ここまで仏壇は死者を祀る場所であるとの前提で書いてきた。おそらく読者のほとんども、そう思っているだろう。
ところが僧侶に仏壇とは何かを聞くと、ほとんどの場合、これとは異なる説明がなされるのである。
仏壇は、死者を祀る場所ではなく
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