世界の頂に挑む男たちを描く『神々の山嶺』(夢枕獏・谷口ジロー原作)
元アシスタント上杉忠弘氏に聞く──映画と漫画、それぞれの魅力
叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師
長編アニメーション『神々の山嶺(いただき)』が7月8日から公開される。第47回セザール賞アニメーション映画賞を受賞し、昨年フランスで大ヒットした作品だ。
1924年、イギリスの登山家ジョージ・マロリーは世界初のエベレスト登頂を目前にして消息を絶った。以来マロリーが山頂に立ったのか否かは永遠の謎とされてきた。1993年、エベレスト登山隊に同行したカメラマン・深町誠はカトマンズでマロリーの遺品と思われるカメラを持つ男に遭遇する。それは、消息不明となっていた登山家・羽生(はぶ)丈二だった。
東京に戻った深町は真相を究明すべく羽生の身辺調査を開始する。深町は羽生の苛烈な半生を知り、彼が前人未到の冬季エベレスト南西壁無酸素単独登頂に挑んでおり、その過程でマロリーの遺体を見つけたのではないかと推測する。深町は再びネパールへ赴き、羽生を捜索する。やがて、運命に引き寄せられた二人の男はエベレストで再会する──。

『神々の山嶺(いただき)』 7月8日(金)より、東京・新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
© Le Sommet des Dieux - 2021/Julianne Films/Folivari/Mélusine Productions/France 3 Cinéma /Aura Cinéma
映画の原作は、夢枕獏氏の小説(1994~1997年)を谷口ジロー氏が漫画化した(2001~2003年)同名作品だ。漫画化は夢枕氏自身の希望で谷口氏に委ねられ、小説と漫画で異なる展開も含まれている。谷口氏の圧倒的な人物・背景描写と「小津安二郎的」と称される繊細で静かな語り口は、海外で絶賛され翻訳出版も数多い。特にフランスでは絶大な人気を誇る。
日本でも谷口ファンの層は厚いが、そのリアリズムゆえか映像化は実写作品に限られてきた。けれども、フランスとルクセンブルクの制作者たちは、谷口作品の長編アニメーション化という「未踏壁」に果敢に挑み、見事に制覇した。残念ながら谷口氏は映画の完成を待つことなく2017年に逝去したが、本作の日本公開はいわば逆輸入による凱旋帰国である。
映画の公開を前に、イラストレーターの上杉忠弘氏に原作執筆の経緯から映画の感想まで広範に語っていただいた。上杉氏はかつて谷口氏のアシスタントを務め、原作執筆前のネパール取材にも同行した経験を持つ。また、上杉氏はディズニー・ピクサーの多数の長編アニメーションの制作にも携わっている。本作を含む世界のアニメーションの動向についても伺った。
上杉忠弘
イラストレーター。1966年生まれ。企業広告、雑誌・書籍の表紙画・イラストなど多数。『コララインとボタンの魔女』(2009年)のコンセプトアートで第37回アニー賞最優秀美術賞を受賞。『ベイマックス』(2014年)、『リメンバー・ミー』(2018年)、『あの夏のルカ』(2021年)、『私ときどきレッサーパンダ』(2022年)などにコンセプトアーティストとして参加。
一歩引いた目線が維持された演出
──映画『神々の山嶺』を鑑賞してどのようなご感想を持たれましたか。
上杉 原作を知らずに、この映画単体で拝見したとしても、プロットがきれいに纏(まと)まっていて、物語にすんなり没入できる作品だと思いました。背景の色調や、シンプルな画面構成が美しいですね。バンド・デシネ(*)的ですね。
*主にフランス語圏で発行されている漫画作品。特異なスタイルで描かれており、1970年代以降、日本の漫画家たちに多大な影響を与えた。
──作者の夢枕獏さんは「谷口ジローにこれを観せたかった」とコメントを寄せていらっしゃいましたが、もし谷口さんがご存命だったらどんな感想を持たれたと思われますか。
上杉 谷口さんがどういう感想を持つかはわからないですが、映像化は喜んだのではないでしょうか。
──本作には谷口さんの描く人物造形に似せよう、同じポーズにこだわろうという意図を感じませんでした。どちらかと言えば、沖浦啓之さんや西尾鉄也さんのような日本の「リアル系」アニメーションの整理された線に近い印象でした。一方で、羽生の少年時代はスタジオジブリの近藤喜文さんや近藤勝也さんを思わせるデザインでした。
上杉 そうですね。でも後半になると、だんだんと谷口キャラに思えてきました(笑)
──元々は3Dで制作する予定が、スタジオに経験がないことから2Dになったようです。製作はジュリアン・フィルム、フォリヴァリ、メリュジーヌ・プロダクションの3社で、制作スタジオはパリ・ルクセンブルク・ヴァランスの3カ所。監督のパトリック・インバートは2Dアニメーター出身。長編は2作目とのことです。メイキングを見ると、日本と同じように動く部分をレイヤーに分けて動かしているように見えます。
上杉 昔の海外のアニメーションでは、リアルに人物を描く需要がそもそもなかったんじゃないかと思うんですよ。そのためぎこちなさを感じることが多かったのですが、この作品ではそういったこともなくてリミテッド・アニメーションの良さを感じました。そのあたりのノウハウは日本のアニメが長年培ってきたことで、影響もあるのではないかと思いますね。
──かつて谷口さんは尊敬するメビウスと組まれた際(『イカル』2000年初版、メビウス原作)に、彼から「君はもっと自由に描くべきだった」と苦言を呈されたと聞きます。本作はむしろ初めから自由にやっている感じがしました。
上杉 谷口さんのキャラクターを集団作業で真似るのが、まず難しそうです(笑)。この美術の中に谷口さんのキャラクターを置いたときに、ちぐはぐにならない造形にしていくのはかなり難しい気がします。演出のトーンもキャラクターたちから一歩引いたような目線を維持して進みますし、これはこれで正解なのかなと思いました。日本で作ったとしたら、これでもかと派手な演出になってきそうです。
──実写映画(『エヴェレスト 神々の山嶺』2016年)がまさに感情主導の演出でした。特に小説・漫画の大きな要素であった男たちと女性との関係についてバッサリとカットしている潔さは特筆すべき点でした。ドライで客観的な点は谷口作品に通じるものを感じます。