ひとりでも多くのリスナーに聴いてもらうために考えるべきこと
2022年07月12日
用事があって神戸まで行った先日のこと。新神戸駅まで迎えにきてくれた地元の友人の車に乗ったら、車内には山下達郎の曲がちょうどいいボリュームで流れていた。
「これ、新しいやつだよね?」
「そうです」
東京に帰ってから(つまり、発売日から少し経ってしまったのだが)、私も『SOFTLY』を購入した。全15曲中、ドラマ、映画、CMのタイアップ曲が12曲もあるそうだが、テレビドラマを観る習慣がないせいか既聴感はあまりなく、各曲がとても新鮮に聞こえた。しかも(神戸で感じたときと同じように)、さりげなく耳を通り抜けていく。なのに、要所要所でガチッと気持ちをつかむ。それは、期待していたとおりの山下達郎的世界だった。
しかし、そんな『SOFTLY』に関し、気になっていることがひとつだけある。そこで、どれだけ共感していただけるかはわからないが、私の嘘偽りない思いを綴ってみたいと思う。
先ごろYahoo!ニュースのオリジナル特集として、山下達郎のロング・インタビューが公開された(「時代の試練に耐える音楽を──「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀」)。「こういうことがあったのか」「なるほど、こういうことを考えていたんだな」というような気づきの多い、非常に興味深い内容。私もぐいぐい引き込まれてしまったのだが、唯一気になる箇所があった。サブスクリプション(以下サブスク)についての話である。
サブスクでの配信を解禁しないのかという問いに対し、彼は「恐らく死ぬまでやらない」と発言した。そして、その理由を「だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」と語った。
基本的には、ひとりのアーティストの考え方として説得力があると思う。似たような不満を持っている音楽家は、おそらく他にも存在することだろう。ただ、この発言は次のように続くのだ。
「売れりゃいいとか、客来ればいいとか、盛り上がってるかとか、それは集団騒擾。音楽は音楽でしかないのに。音楽として何を伝えるか。それがないと、誰のためにやるか、誰に何を伝えたいのかが、自分で分からなくなる。表現というのはあくまで人へと伝えるものなので」
ひとつの解釈としては充分に成り立つし、好きなアーティストがそう感じているのであれば、私たちもそれを理解する必要がある。だが、大前提としてそれはひとりでも多くの人に伝わらなくてはならない。
しかしサブスクで解禁される可能性のない『SOFTLY』は現実的に、CDとアナログレコードとカセットテープだけしかリリースされていない。つまりその時点で、「音楽として伝える」ことのハードルが上がっている。
たとえば個人的には、山下達郎作品をひとりでも多くの若い子たちに聴いてもらいたいと思っているのだが、いまの若い世代の大半はCDプレーヤーを持っていない。それどころか、なかにはCDの存在すら知らない子もいる。つまりメインのリリース形態がCDだとすると、彼らはこの先も山下達郎作品を聴く機会を与えられないことになる。
「大人のための音楽だから」という反論もあろうが、
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