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「水戸黄門」第三の男、佐野浅夫さんを偲ぶ~ビデオ撮影、慰問活動、泣き虫……

ペリー荻野 時代劇研究家

 6月28日、俳優の佐野浅夫さんが亡くなった。享年96歳。平岩弓枝作「ありがとう」、向田邦子作「じゃがいも」といった昭和の人気ホームドラマや刑事ドラマ、時代劇と幅広く活躍した俳優であった。

 その代表作といえば、「水戸黄門」(TBS)だ。佐野さんは、1993(平成5)年から2000 (平成12)年まで、3代目黄門様として世直し旅を続けた。私が京都の東映太秦撮影所で初めてインタビューをした黄門様である。

3代目水戸黄門の佐野浅夫さん(左から2人目)などおなじみのメンバー3代目水戸黄門の佐野浅夫さん(左から2人目)などおなじみのメンバー=1999年、第27部の頃

 天下の副将軍・水戸光圀が、助さんこと佐々木助三郎と、格さんこと渥美格之進らお供の者と諸国漫遊をしながら、世直し旅を続ける。国民的時代劇として親しまれたシリーズだが、実は「誰が黄門役をするか」は、スタート当初からの大問題だった。

 そもそも1969年の第一シリーズで主役に決まっていたのは、森繁久彌。ところがカツラ合わせまでした時点で、契約の関係から出演ができなくなり、急遽決まったのが、初代・黄門様として人気を博した東野英治郎だった。あまり知られていないが、明治40年(1907)生まれの東野黄門様は、趣味がスキー、スケート、テニス、ゴルフとスポーツ系で、その体力でもって足掛け14年も主演を続けたのだった。

 続く2代目は西村晃。映画では主に悪役で活躍していたが、品のいい「シティ派黄門」と呼ばれた。カーマニアで撮影所までは自ら運転、撮影所内をローラースケートで走り回る写真も残る。後年、番組の関係者から、2代目には田村高廣の名が挙がっていたと聞いた。

子どもがからむ話でよく出た持ち味

印籠を出す姿も板についてきた佐野 浅夫さん=19933東映京都撮影所で1993年3月、東映京都撮影所で
 そうした中で、水戸黄門第三の男として登場したのが、佐野さんだった。3代目候補は200人以上いたとも言われたが、個人的にはすんなり納得した記憶がある。それは佐野さんが、同じ「ナショナル劇場」枠で「水戸黄門」と交代で放送されていた「大岡越前」の筆頭同心・佐橋孫兵衛役でレギュラー出演していて、この枠では、おなじみ感があったからかもしれない。

 佐野さんの黄門様は、それまでの「頑固」「怒りっぽい」ご隠居様というより、人情味があって庶民派という印象だった。その持ち味は、子どもがからむ話でよく出ていた。

 たとえば、初登場の第22部、

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