ペリー荻野(ぺりー・おぎの) 時代劇研究家
1962年、愛知県生まれ。大学在学中よりラジオパーソナリティを務め、コラムを書き始める。時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」のプロデュースや、「チョンマゲ愛好女子部」を立ち上げるなど時代劇関連の企画も手がける。著書に『テレビの荒野を歩いた人たち』『バトル式歴史偉人伝』(ともに新潮社)など多数。『時代劇を見れば、日本史はかなり理解できる(仮)』(共著、徳間書店)が刊行予定
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
6月28日、俳優の佐野浅夫さんが亡くなった。享年96歳。平岩弓枝作「ありがとう」、向田邦子作「じゃがいも」といった昭和の人気ホームドラマや刑事ドラマ、時代劇と幅広く活躍した俳優であった。
その代表作といえば、「水戸黄門」(TBS)だ。佐野さんは、1993(平成5)年から2000 (平成12)年まで、3代目黄門様として世直し旅を続けた。私が京都の東映太秦撮影所で初めてインタビューをした黄門様である。
天下の副将軍・水戸光圀が、助さんこと佐々木助三郎と、格さんこと渥美格之進らお供の者と諸国漫遊をしながら、世直し旅を続ける。国民的時代劇として親しまれたシリーズだが、実は「誰が黄門役をするか」は、スタート当初からの大問題だった。
そもそも1969年の第一シリーズで主役に決まっていたのは、森繁久彌。ところがカツラ合わせまでした時点で、契約の関係から出演ができなくなり、急遽決まったのが、初代・黄門様として人気を博した東野英治郎だった。あまり知られていないが、明治40年(1907)生まれの東野黄門様は、趣味がスキー、スケート、テニス、ゴルフとスポーツ系で、その体力でもって足掛け14年も主演を続けたのだった。
続く2代目は西村晃。映画では主に悪役で活躍していたが、品のいい「シティ派黄門」と呼ばれた。カーマニアで撮影所までは自ら運転、撮影所内をローラースケートで走り回る写真も残る。後年、番組の関係者から、2代目には田村高廣の名が挙がっていたと聞いた。