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「ちむどんどん」の「幸せ」連呼で、「#反省会」をお願いしたい

矢部万紀子 コラムニスト

 61年の我が人生を振り返り、「幸せ」という言葉をどれだけ使ったろうかと考える。自分について使ったことは、たぶんない。だって、小っ恥ずかしいじゃないですか。芝居がかってる。

 と思う今日この頃だが、朝ドラ「ちむどんどん」は違う。幸せ、全然平気だ。それこそが「ちむどんどん」だと理解はしたが、どうもよろしくない。という話を書く。

 始まりは、第2週。父が亡くなり、大変な借金を抱えた比嘉家。4人の子どもがいる。1人なら引き取るという東京の親戚からの申し出に、「うちが行く」と手を挙げたのが次女の暢子。

 本当は家にいたい。でも、「東京、行ってみたい」と言ってみせる。これぞ、朝ドラヒロイン。そう見守ったが、結局は行かない。バスに乗ったが、きょうだいが追いかけてくると「停めてください」と叫ぶ。荷物も持たずに降りて、4人で抱き合う。

 兄が「暢子は行かさない」と言うと、姉が「みんなでここで暮らします」とつなぐ。妹が「みんなで幸せになります」と言って、これが初「幸せ」。賢秀がすぐ「幸せに」と言い、3人の声が「幸せになります」と唱和。最後は母・優子(仲間由紀恵)。「今まで通り、ここで、みんなで、幸せになろうね」。

 小学校の卒業式を思い出した。「今日、私たちは」「私たちは」「〇〇小学校を卒業し」「卒業し」……こういう調子の「シュプレヒコール」がメインイベント。最後は「さあ、夢に向かって」「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」。

 すごく恥ずかしかった記憶があるから、「決意表明」が当時から苦手だったのだろう。そんな私なので、小中学生4人&母による「幸せ」連呼は、かなりこそばゆかった。しかもその間、バスはずっと停まったまま。いいの?

 というのが、「ちむどんどん」への違和感の始まりだった。同時にちょっと心配になった。「まれ」(2015年度上半期)を思い出したのだ。ヒロイン(土屋太鳳)の子役時代、のちの夫になる小学生が大人しか言わないようなセリフを言っていた。最後まで見たが、相当に残念な朝ドラだった。転じて「ちむどんどん」。詳細は省くが、バスに東京から転校してきた中学生が同乗していて、暢子への恋心がダダ漏れ。このまま「まれ」になってしまわないかなあ?

 と思っていたら、ほどなく「#ちむどんどん反省会」がネット界で盛り上がりだした。バスのシーンから一挙に高校生となった暢子=黒島結菜、兄・賢秀=竜星涼、姉・良子=川口春奈、妹・歌子=上白石萌歌。豪華俳優陣だが、ドラマの方は調子が悪い。1人を里子に出そうというほどの借金があったのに、それがどうなったかの説明はなく、「お金はないけど、楽しく暮らしてます」になっていた。そこへの疑問が始まりで、暢子が高校を卒業、本土復帰の1972年5月15日に上京してからはますます盛り上がった。

「ちむどんどん」の4人きょうだいたち。(左から)妹役の上白石萌歌さん、兄役の竜星涼さん、黒島結菜さん、姉役の川口春奈さん(右から2人目)=2021年12月、沖縄県うるま市 
「ちむどんどん」の4人きょうだいたち。(左から)妹役の上白石萌歌さん、兄役の竜星涼さん、高校時代の黒島結菜さん、姉役の川口春奈さん=2021年12月、沖縄県うるま市

 「投稿→ネットニュースが記事化」が日常になり、私のスマホには日に何度もアルゴリズムさんから「#反省会」のお知らせが届いた。登場人物の行動が納得いかない、時代考証が間違っている。そんな指摘が多かった。

 知り合いの男性2人(ともに60歳超え)が、「『ちむどんどん』をどう思うか」と連絡してきた。「1日ひとつ、目をつぶるドラマ」と答えたが、彼らにも「#反省会」の投稿者にもある種の愛情があるわけで、「朝ドラ」はしみじみ公共財になっているのだと思ったりもした。

 だからだろう、視聴率は安定している。初回が16.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、7月21日が15.5%(同)。見るのをやめてもいいのに、そうはしない。ツッコミ前提の視聴も、立派な視聴だ。

沖縄だから、と理解はしたが……

 さて「幸せ」の話だ。7月18日からの第15週、優子が4人の子どもに戦争の話をした。

 そもそも「ちむどんどん」は、沖縄復帰50周年に合わせた作品だ。が、ずっと沖縄は「背景」にすぎなかった。賢秀というダメダメな長男(「#反省会」で人気)が、ドル→円で詐欺にあったり、上京した暢子が鶴見のリトル沖縄に下宿したり。まあ、それだけだった。


「ちむどんどん」の舞台に決まったのをきっかけに、鶴見「沖縄タウン」を訪れるファンも多いという=2022年5月、横浜市鶴見区「ちむどんどん」の舞台の一つ、横浜・鶴見「沖縄タウン」を訪れるファンも多い=2022年5月、横浜市鶴見区

 優子の語った「沖縄」で最も納得したのは、賢秀のことだった。ダメダメなのに、母が超甘かった。お金を無心されると、必ず応じる。それを失くして戻っても歓待する。「#反省会」が何度も指摘した不可解さだったが、理由がわかった。「ちむどんどん」最初で最後(今のところ)の伏線回収だった。

 賢秀の「賢」は優子の夫・賢三(大森南朋)から、「秀」は優子の弟・秀夫から取った。そう思える展開だった。優子は1944年10月の那覇大空襲で家族と離れ離れになり、弟と山に逃げた。米軍に見つかり、収容所に入れられ、そこで弟が亡くなった。生きる気力を失っていた時、収容所で出会ったのが賢三。出征まで優子の実家で働いていて、家族を探しに来ていた。2人は結婚、生まれたのが弟似の男の子でうれしかった。そういう話をする優子。なぜ今まで話さなかったのかと尋ねられ、「(語るのが)怖くてたまらなかった」と答える。思い出すと泣いてしまう、弟は自分の腕の中で死んだのだ、自分だけこんなふうに生きていいのかと思う、と。そしてこう言った。

 「うちの戦争は終わってない。亡くなった人の分まで、あんたたちには幸せになってほしい」

 そうか、「幸せ」の連呼は意図的なのか。ここで、やっと思った。家族を失うつらさは味合わせないつもりが賢三が無理していたことに気づかず、大好きなお父ちゃんを失うことになってしまった。「ごめんなさい」と謝る優子に、「それは違う」と賢秀が言う。それを契機にきょうだいが母を抱きしめ、暢子がこうまとめる。「うちたちは、絶対に幸せになる」。

 ああ、沖縄だからか。そう考えだしたところで、それが正解と教えてくれたのは

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