米満ゆうこ(よねみつ・ゆうこ) フリーライター
ブロードウェイでミュージカルを見たのをきっかけに演劇に開眼。国内外の舞台を中心に、音楽、映画などの記事を執筆している。ブロードウェイの観劇歴は25年以上にわたり、〝心の師〟であるアメリカの劇作家トニー・クシュナーや、演出家マイケル・メイヤー、スーザン・ストローマンらを追っかけて現地でも取材をしている。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
皆、弱いよね、私とお客さまはそこを支え合っている
――そこからレコーディングを再開し、どういう気持ちで『愛しかない時』を歌われたのですか。
それがですね、気持ちを込めるもなにもゼイゼイしながら歌っていました(笑)。いつも胸を張って闘っていくんだと語る歌なんですけど、そのころ、すっかり気持ちが萎えていたので、痛みを感じながら歌ったんです。逆にそれはそれで違うエッセンスが入り、歌の深みが増して良かったのかもしれないです。
――銀巴里で初めて歌った時も、ゼイゼイしながら歌われたそうですね(笑)。
そう、基本はゼイゼイと歌っているんですよ(笑)。
――それだけパワーがいる歌だと。
若い時には歌えなくて。アンナ・プリュクナルさんが叫ぶばかりに歌っていたので、あのぐらいじゃないと歌えないと思っていたんです。彼女の出身地のポーランドも大変な国ですし、一生懸命闘って生きていく、自分の弱さに打ち勝って歌うのは大変なんだろうなと思いました。それにこの歌は、特にパワーがないと伝わらない。弱さにもパワーが必要です。きれいごとで歌っていても伝わらなくて、弱くても強くてもパワーがないと伝わらない歌なんだと改めて思いましたね。
――また、『愛しかない時』をアカペラで歌い、ウクライナで通訳をしてくれた方に動画で送ったそうですね。
彼から「歌を聴いて涙があふれ、その涙と共に悲しみが少し体の外へ出ていきました」と言われてすごくうれしかったですね。その後、彼は私の『INORI~祈り~』という歌をカラオケで歌い、動画を送り返してくれたんです。私の歌のカラオケがあるんだと思って。またその歌が下手だったんですよ(笑)。女の人のキーだから間延びして下手になるのは仕方ないんですが。戦争中にカラオケなんかしてて大丈夫?と思うんですけど、その気持ちがうれしかったですね。
――(笑)。カップリングは、菅原洋一さんの代表曲『今日でお別れ』のデュエットですが、今年で88歳の菅原さんの艶っぽい声に驚きました。
声のふくよかさは変わらなくて、本当にすばらしいですよね。もう私にとっては、〝生き神様〟みたいな感じで、菅原さんは、その時は立って歌うのが難しくて、座って歌っていたんですが、基本があるので、きちんと歌われる。その時、まだ自分の気持ちが色々と整理できていなくて、私はすぐ泣いちゃうんですよね、情けないことに。泣き声が入っているなと思ってやり直したんですけど、つらかったですね。
――菅原さんにも励まされたそうですね。
常にひょうひょうとしているんですけど、おだやかに音楽ときちんと向き合っていらっしゃる。艶っぽいのは、恋心をいくつになっても持っているから。恋も愛に通じるからすごく素敵なことだなと。どんな時も恋心を持ってないとダメだなと思いました。
――クミコさんの人生を振り返ると、石巻で東日本大震災に遭い、色んなことを経験されています。
たまたまその日に石巻でコンサートがあったんです。その日はコンサートが出来なくて裏山に逃げて、翌日、仙台に行ったりして。一回、そういう体験をすると自分と地続きになっちゃうんですよ。人と会って、一緒に夜を過ごしたわけだから、東京に帰ってきても心はずっとそこにある。被災している方が「寒い」と言っていると知ると、ああ、私はこんなに温かい場所にいるのにと罪悪感が募る。なんでも地続きになるつらさは石巻で経験したので、ウクライナもつらいですね。でもこればっかりは仕方がない。
――石巻では『きっとツナガル』という歌も生まれています。
痛みはその時々ではしんどくて、つらくていい加減にしてほしいと思うけれど、もし、私の歌に涙してくださったり、癒やされたりという方がいるとすれば、自分では能天気に生きてきたつもりなのに理不尽な悲しみが私も多くて、それが少しは歌に深みが増すきっかけになっているのかなと思います。だとしたら、神様に感謝できるかは分からないけれど、ありがたいことだったんだと思いますね。
――『INORI~祈り~』は、今、聴いたら、歌詞そのままというか、本当に祈ることしかできないと思いますよね。
あれから、祈ることしかできないことが増えちゃった。太刀打ちできない大きな悲しみに会うと、本当に祈ることしかできないということがよく分かりました。
――そういう意味でも『INORI~祈り~』に深みが加わっていくのでしょうね。
そうですね。歌はドンドン変化していくんだと思います。
◆公演情報◆
「銀巴里」から40 年…
クミココンサート 2022 わが麗しき歌物語 Vol.5 愛しかない時
大阪:2022年8月13日(土) 15:30 サンケイホール ブリーゼ
名古屋:2022年9月10日(土) 15:30 日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール
札幌:2022年10月2日(日) 15:00 道新ホール
東京:2022年12月4日(日) 15:00 EXシアター六本木
公式ホームページ
【リリース情報】
◆6月22日(水)先行配信リリース
「愛しかない時Quand on n a que I amour」
◆8月10日(水)CDシングルリリース
M1.愛しかない時 Quand on n a que I amour
M2.今日でお別れ(クミコ duet with 菅原洋一)
日本コロムビアクミコオフィシャルホームページ
〈クミコプロフィル〉
1998年にシャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。その後、シャンソンの枠にとどまらず、ジャンルを問わない唄い手として活動。2010年に『NHK紅白歌合戦』に初出場し、広島平和記念公園にある原爆の子の像・佐々木禎子の生涯を綴った歌「INORI 〜祈り〜」を歌唱する。2016年、ウクライナの首都キーウにある「国立チェルノブイリ博物館」で開催されたチェルノブイリ原発事故から30周年の式典に出席、松本隆作詞の平和を願うスペイン・カタルーニャ民謡「鳥の歌」や「INORI 〜祈り〜」を披露し、現地のウクライナの人々と交流を深めた。
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