(1)既成宗教──戒名と寺院改修等の献金要求

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既成宗教について気になるのは、多くの市民が疑問に感じながらも長年の慣習だからと不問に付してきた、葬儀や追善供養で求められる「布施」のことである。
布施は仏教では、各種の「苦」を生むと解される「欲」(執着)を断つための道であって、自らの貴重なものを──その生活事情に応じて──自主的に、喜んで捨てる(喜捨)ことだと解される。だのに奇妙なことに、寺院が各種行事に求める布施には「相場」がある。戒名料の場合、それは驚くほど高い。
戒名(浄土真宗では法名、日蓮宗では法号)は、院号、法号(死者の俗名による)、位号(在家信者を意味する「居士」「大姉」「信士」「信女」等)等より成るが(ひろ、同前47p)、院号を付けるかどうかで、また他の号とどう組み合わせるかで、戒名料に恐ろしいまでの開きが出る。
最上位の院号を含めば、それは一般に今でも100万円を超えるという。最低の信士・信女号ていどの戒名でさえ、10万円からの支払いが要求される(島田裕巳『葬式は、要らない』幻冬舎、47-48p)。
容疑者の母親も戒名料を払ったと思うが、時期(1990年代後半)からすると、ゆうに数10万円が要求されただろう(同107-108p)。1980~90年代、私は父母を亡くしたが、それぞれ50万円前後の戒名料を払った記憶がある。「払った」と言っても「布施」の建前上、私の自主的な判断に基づくのだが、実際は葬儀屋から耳打ちされる「相場」に従わざるをえなかった。

仏壇店に並ぶ位牌。戒名が見本として示されている=大阪市
一般に戒名には、新たに4、6字(時に2字、8字)が選ばれるにすぎない(同87-88p)。しかも命名のルールは恣意的である(仏典には何も書かれていない)。だから生前の死者の様子を遺族から聞きさえすれば、戒名は誰でもつけられる。その程度のものに10万~100万円以上の支払いが求められるという事実は、異常ではないのだろうか。
戒名料以外にも寺の建立・改修等の際に、檀家として、戒名料をはるかに上回る布施が求められる場合がある。私の父はかつて本堂改修のために100万円単位の布施を求められて、苦渋の決断の末にそれを支払った。
これは、戒名料の場合ほど一般的な問題ではないとはいえ、高額であるだけに影響が大きい。当事者のふところを直撃すると同時に、間接的ながら、カルトが求める高額寄付の背景になっていないかと、気になってならない。