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作曲家、ピアニスト、音楽監督…野平一郎氏のマルチな才能はどう育まれたのか

第52回「ENEOS音楽賞」洋楽部門本賞を受賞。東京文化会館の音楽監督も本格化

池田卓夫 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

 野平一郎さんが、日本の音楽文化発展に大きな業績を上げた個人、団体を顕彰する「ENEOS音楽賞」(ENEOSホールディングス主催)洋楽部門の第52回本賞を受賞した。作曲家では前身の「モービル音楽賞」から数えて武満徹(第11回)、三善晃(20回)、松村禎三(24回)、西村朗(31回)、池辺晋一郎(48回)に続く6人目の本賞受賞だ。

 普通の記事なら「作曲家の〜」「ピアニストの〜」と枕詞を置くが、野平さんの活動は創作から実演、教育、プロデュースまで多岐にわたり、とても一語では言い表せない。静岡音楽館AOIの芸術監督(2005年~)に続き、2021年9月からは東京文化会館の音楽監督も引き受けた。マルチな才能はどう育まれ、開花したのか? 「そもそも」に遡って話を聞いた。

拡大東京文化会館の音楽監督として初の記者会見で意気込みを語る野平一郎さん(筆者撮影)

「グリコのおまけ」につられてピアノを始めて

――子どものころから、音楽に打ち込んでいたのですか?

野平 生まれは東京、世田谷区の東北沢です。両親は音楽家ではありませんが、音楽好きでレコードをたくさん聴いていました。5歳で親に言われ、ピアノを始めた時は「グリコのおまけ」につられただけ、最初は嫌々でした。

 音楽自体は好きで、いきなりベートーヴェンのピアノ・ソナタやショパンの夜想曲、モーツァルトの交響曲などから入り、子ども向けの作品を聴いた記憶がありません。ピアノを習う子どもは皆、右手と左手に違う動きをさせるので苦労しますが、僕は得意で、どんどん上達しました。

 近所の代々木上原に住んでいた作曲家の黛敏郎さんの息子、りんたろうさんとは幼馴染です。夕方、小学校が終わると黛家を訪れてはピアノを弾くので、徹夜明けで寝入っている黛さんを起こしてしまい、うるさがられたこともありました。

ドビュッシー「月の光」から日本人の作品に関心

 中学生となり、ドビュッシーの「月の光」に惹かれたのをきっかけに、日本人の作品、とりわけオーケストラ作品を聴くようになったのが最初の転機です。この出会いがなかったら、ピアノをやめていたと思います。」。

 それからNHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団の定期会員になって東京文化会館へ通いつめ、矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」、松村禎三の「管弦楽のための前奏曲」など、後にN響の「尾高賞」を受けるような水準の作品の世界初演を実際に聴いて育ちました。

拡大VTT Studio/shutterstock.com

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筆者

池田卓夫

池田卓夫(いけだ・たくお) 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

1958年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業した1981年、日本経済新聞社に記者として入社。ドイツのフランクフルト支局長当時、「ベルリンの壁」崩壊や旧東西ドイツ統一を現地から報道。帰国後は文化部編集委員として長年、クラシック音楽を担当した。2018年9月退職後は「音楽ジャーナリスト@いけたく本舗」の登録商標でフリーランス。執筆の他にプロデュース、解説MC&通訳、コンクール審査などを手がける。2012年に会津若松市で初演(2018年再演)、三菱UFJ信託芸術文化財団「佐川吉男賞」を受けたオペラ「白虎」(加藤昌則作曲)ではエグゼクティブプロデューサーを務めた。東京都台東区芸術文化支援制度、アクロス福岡シンフォニーホールなど地域文化関係のアドバイザーも歴任。公式ホームページは「こちら」

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです