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「集って祈る」「犯人のためにも祈る」意味──77年目の8月に

野菜さらだ コラムニスト/言語聴覚士

 いつも朝の散歩で歩く緑の小道で聞こえてくる音が変わった。ミンミン蝉だ。この大合唱を聞くと「甲子園の季節だな」と思うと同時に「祈りの時期がやってくる」ことを実感する。

 8月6日、広島原爆投下の日に、8月9日、長崎原爆投下の日に、8月15日、終戦記念日に、慰霊式、平和祈念式典、追悼式などが執り行われ、全国が祈りに包まれる、あの時間だ。

 あの夏から、今年で77年目を迎える。

 広島や長崎に直接のご縁がない私のような者であっても、その日はTVに映し出される慰霊の儀式の「黙とう」と、発せられる言葉で、自分のいる場所でではあるが「小さい祈り」を捧げる。

原爆死没者慰霊碑前で手を合わせる人たち=2021年8月6日、広島市中区拡大原爆死没者慰霊碑前で手を合わせる人たち=2021年8月6日、広島平和記念公園

 慰霊の会場以外のあちらこちらの場所で同じ時間に日本全国の多くの人が揃って祈るという、その時間が私には以前からとても尊いものと感じられている。

 そんな「亡くなられた方を弔うために同じ時間に集って祈る」という意味を少し考えさせられる出来事に最近遭遇した。


筆者

野菜さらだ

野菜さらだ(やさいさらだ) コラムニスト/言語聴覚士

本名・三田地真実(星槎大学大学院教育学研究科教授) 教員、言語聴覚士として勤務後、渡米。米国オレゴン大学教育学部博士課程修了(Ph.D.)。専門は応用行動分析学・ファシリテーション論。2016年からオンライン会議システムを使ったワークショップや授業を精力的に行っている。著書に『保護者と先生のための応用行動分析入門ハンドブック』など。教育雑誌連載と連動した 「教職いろはがるた」の動画配信中!

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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