各自で祈るのでいいのだろうか?

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で黙祷する参列者=2021年8月9日、長崎市の平和公園、代表撮影
一代で組織を大きく育て上げた、とある創設者が今年の春に亡くなられた。その直後に訃報を受けた関連組織の会議では、オンラインではあったものの、全員で黙とうを捧げた。数カ月後、創設者のお誕生日が元々組織の記念日とされており、その日に「偲ぶ会」を開くことが決定された。最初は全国いくつもの会場をオンラインでつないで、各会場で弔辞が述べられる、そんな予定で企画は進んでいたようだ。
しかし、折しもコロナ禍の感染拡大を受けて、直前に全面オンラインでの開催に切り替わった。そこでは、本来会場で弔辞を述べるはずだった各界の著名人の動画メッセージと創設者の在りし日の姿を映した動画、本来は皆が訪れるはずだった会場の様子を映し出した動画が一式公開され、それを「一人ひとりが各自で視聴する」という方法をとっての偲ぶ会であった。
ご縁をいただいていた私も、元々の偲ぶ会の日には何も予定を入れないでどこにでも参列できるように準備していたが、結局、録画された動画を一人で全部自宅で視聴することとなった。
多くの人が集まってにぎやかにされるのがお好きだったその創設者の在りし日の姿が映し出される動画に、見ていて悲しい気持ちになってきた。
「実際の会場に集まるのは無理でも、せめてオンラインでつながれる人だけでもつないで、短い時間でも何かできなかっただろうか」
そんな想いが過(よぎ)った。
翌日、その下部組織の通常の会議がオンラインで開かれた。議事は粛々と進み、偲ぶ会の動画のことも紹介された。一参加者である私は、「このまま終わっていいのだろうか」という思いが沸々と沸き起こり、会議の最後の最後に、「昨日、動画は全部見ましたが、淋しい気持ちがしました。せっかく、これだけの人が集まっているのですから、皆さんで1分間の黙とうをしませんか」と勇気を振り絞って(正確にはオンライン会議なので、マイクのミュートを外して)発言した。賛同してくれる声が上がり、「それでは」とその場に集った全員で創設者のことを偲んで、1分間の黙とうが行われた。
黙とうの最後に、私はマイクのミュートを再び外して手元にあった鐘を鳴らした。
一人で動画を見ていた前日の淋しさは少し和らいだ。
その後、日常に戻ってお茶碗などを洗っているときに、創設者の「ありがとうね」という声が聞こえた気がした。
集って祈る、皆で心を一つにして黙とうする、そのことが本当はとても大事なことではないのか。私はその声で気づかされた。