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「ビーチ・ボーイズ」ブライアン・ウィルソンの光と翳

印南敦史 作家、書評家

ずっと理解できなかった

 最初に明らかにしておかなければならないことがある。誤解を受けやすいことであり、場合によっては非難の対象にもなるかもしれないが、だからこそ自分の気持ちは正直に記しておくべきだと考えるのである。

 ビーチ・ボーイズ、とりわけその中心人物であるブライアン・ウィルソンについてだ。

 端的にいえば私はずっと、ビーチ・ボーイズの音楽の魅力がよく理解できなかった。子どものころから聴いてきたブラック・ミュージックとくらべると(そもそも、くらべることが間違っているのだが)、「サーフィン・U.S.A.」「グッド・バイブレーション」「神のみぞ知る」など一連のヒット曲は厚みに欠けるように感じたし、だからマニアの間では高い評価を受けていた名作『ペット・サウンズ』についても「よくわからなかった」のだ。

 しかも音楽マニアの間には、彼らのことを悪くいいづらい空気が流れているようにも思っていた。もちろん悪くいう気などなかったけれども、ビーチ・ボーイズ界隈には、「理解できない」人間が立ち入る隙などなかったのだ。

 そんなこともあってか、やがて気がつけば、ビーチ・ボーイズやブライアンについての話題を避けるようにもなっていた。理解できない以上、ああだこうだ主張する資格などないし、議論を戦わせて勝てる自信もなかったからだ。

 しかしその半面、いつか、その扉を開けなければいけないのだろうと思ってもいた。開けるべきタイミングが、この先のどこかで訪れるのかもしれないとも。ただ、それがいつのことになるのか、まったく見当がつかないまま、ただ時間だけが過ぎていたのだった。

 だから、『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』(8月12日公開)というドキュメンタリー映画が、彼とこのバンドを理解するきっかけになったことは少し意外であり、そしてうれしいことでもあった。

『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』
 Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC
■配給: パルコ ユニバーサル映画
8/12(金)より、東京「TOHOシネマズ シャンテ」「渋谷ホワイトシネクイント」ほかにて全国公開『ブライアン・ウィルソン/約束の旅路』  Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC  配給: パルコ ユニバーサル映画 8月12日(金)より、東京「TOHOシネマズ シャンテ」「ホワイト シネクイント」ほかにて全国公開

 なお、本論に入る前にもうひとつ。この原稿の結論もまた、私の個人的な感じ方に過ぎないことをお断りしておきたい。

明るさの背後に見える翳

 作品の中核を成すのは、元『ローリング・ストーン』誌の編集者であるジェイソン・ファイン氏とブライアンとのやりとりである。ファイン氏が運転する車の助手席に落ち着き、リラックスしながら言葉を重ねていくブライアンの姿は、それだけで貴重だ。彼は決して友好的な人物ではなかったようだが、インタビューを通じて知り合ったファイン氏に対しては「友だちだ」と心を開いているのである。

Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLCⒸ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC

 そしてインタビュアーである以前にブライアンおよびビーチ・ボーイズの作品の深い理解者であるファイン氏も、年老いた天才ソングライターのことを気遣いながら、静かに質問を投げかけていく。

 いい関係だ。

 ブライアン・ウィルソンは22歳までに7曲のトップ10ヒットを生み出し、バンドを世界的な成功へと導いた。だが彼は21歳の時点で、“攻撃的な幻聴”に悩まされるようにもなっていた。そしてその数十年後には、統合失調感情障害と診断されることになる。治療はいまも続けているというが、それでも幻聴は治らないようだ。

 そんなブライアンが、ツアー中にパニック障害を起こして離脱したのは1964年のこと。以後はロサンゼルスで作曲に専念するようになり、その過程において誕生したのが『ペット・サウンズ』だった。

 先にも触れたとおり、その革新性を私はなかなか理解できなかったのだが、だからこそ余計に心に残ったのは、このアルバムについてのドン・ウォズの発言だ。アメリカを代表するプロデューサーである彼は『ペット・サウンズ』を生み出したブライアンに、「一体どうやって斬新なアイデアを思いつくのか」と尋ねているのだ。「ピアノで外側の指を使わずに、幾何学模様を描こうとしたというんだ。モーツァルトの弦楽四重奏曲みたいだね」とも。

 同じように指揮者のグスターボ・ドゥダメルも、「(ブライアンの曲は)マーラーやシューベルトの曲と同じレベルにあると思う」と話している。

 このことについて、音楽的な知識が乏しい私に言えることはない。だが、この言葉を耳にしたあとで『ペット・サウンズ』を聴きなおしてみたら、なんとなく言わんとしていることは“感覚的に”わかる気もした。少なくとも、作詞・作曲・プロデュースと楽曲にまつわるすべてのことを、自分の感性に従って行ってきた彼の作品に、クラシックにも通じる“なにか”があることだけは。

Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLCⒸ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC

 なおご存じのとおり、その個性的な作風はポップで親しみやすいムードに満ちている。が、どこかに悲しさや絶望が垣間見えもする。そこが気になる部分でもあったのだが、そんな私の気持ちを、映画のなかでブルース・スプリングスティーンが代弁してくれていた。「『ペット・サウンズ』は、人生の苦しみの中にも喜びがあると教えてくれる」と。

 つまり、(とくに『ペット・サウンズ』以降にあてはまることだが)ただポップなだけではないからこそ、彼の作品は人の心をつかむのだろう。

暴力による支配

 でも、キラキラと光り輝くようなポップ・センスを持つブライアンの音楽は、なぜ悲しくも聞こえるのだろう? この問いに対する答えも、本作では明らかになる。それは父親からの影響だ。

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