[19]「ホトケ(仏)」という言葉に集約された日本人の信仰
2022年08月12日
「八丁堀の旦那、ホトケの身元が割れましたぜ」
テレビドラマの時代劇などで、死者のことを「ホトケ」と呼ぶ場面を見ることがある。
また「うちのかみさんが……」で有名な、アメリカのテレビドラマ『刑事コロンボ』でも、死者のことを「ホトケさん」と語る場面がたびたび出てくる。もちろん吹き替え音声で、翻訳家による英語からの翻訳である。ピーター・フォークが演じるコロンボ刑事が、毎回のように死者のことを「ホトケさん」と呼ぶのだが、不思議なくらい違和感がない。
家庭でも、亡くなった人のことを「ホトケさん」と呼ぶのは一般的である。「お盆にはホトケさんが帰ってくる」「仏壇のホトケさんに、お供えをしなきゃ」といった具合だ。
しかしご存じのとおり、ホトケとは仏様、釈迦牟尼如来や阿弥陀如来といった信仰対象のことである。
ところが、日本では、死者のこともホトケという。つまり日本では、人は死んだらホトケになるのである。
もちろん、人が死んだら仏(如来)になるという考え方は、仏教にはない。仏教学的に言えば、明らかに間違いである。
しかし、日本人は何百年にもわたって、死者をホトケと呼んできた。現代人も、違和感なく死者のことをホトケと呼んでいる。この事実を無視することはできない。
なぜ日本人は、死者のことをホトケと呼ぶのだろうか?
『広辞苑』によると、「仏」の項目には、
①目ざめたもの。悟りを得た者。仏陀。
②仏像、また、仏の名号。
とあり、四番目に
④死者またはその霊。
という意味が記されている。
「仏」という語は、第一に、悟りを得た仏陀のことを指し、第二に、釈迦如来や阿弥陀如来といった信仰対象としての仏のことを指す。そして、死者のことも指すということである。
民俗学者の柳田国男は、「死者を無差別に皆ホトケというようになったのは、本来はホトキという器物に食饌を入れて祀る霊ということ」(『先祖の話』)と言っている。つまり死者にお供えする器の名前の「ホトキ」が変化して、死者の霊のことを「ホトケ」と呼ぶようになったとの説明である。ただ柳田は、この考えを想像説であると言っていて、どうも確信があるわけではないようである。
ちなみに、仏陀のことを「ホトケ」と言うようになったのは、日本に仏教が入ってきた時、「ブッダ」を「浮屠(ふと)」と音訳し、それが変化したものとされている。
日本の仏教では、宗派ごとに教えがあり、宗派ごとに信仰対象としての本尊もある。本来、仏教徒は、そうした教えを信じ、本尊に手を合わせるということになっている。
しかし現実は、ほとんどの仏教徒は、教えにあまり興味を持たず、本尊よりも死者に気持ちが向かっている。本尊は釈迦如来や阿弥陀如来など宗派ごとに決まっているが、本尊の名前すら知らない人が大多数だ。
一般的な仏教徒にとっての信仰は、亡くなった大切な人があの世で安らかに暮らして欲しいという祈りと、その死者に私たちを見守って欲しいという祈りから成り立っているのだ。
そしてこの信仰は、ホトケという言葉が仏(如来)を意味し、仏陀を意味し、死者を意味することと、相似関係にあるのである。
日本人の多くは、死者のことを「ホトケさん」と呼びつつも、ホトケという言葉がもともと仏(如来)を指していることを知っている。
その前提の中で、死者をホトケと呼ぶことで、
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