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『沖縄の新聞記者』の生々しい思い──沖縄を知り、考え続けること

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

突然沖縄特集

 今年の春ごろ、新聞を読みながら「やけに沖縄のニュースが多いな」と思っていたら2022年は沖縄が日本に復帰して50年だという(そんなことも知らなかった私も問題だが)。復帰したのは1972年5月15日とのこと。新聞はさまざまな特集を組んで、復帰後の歩みをたどり、現在の問題を取り上げ、沖縄にゆかりの人のインタビュー連載などもしていた。

 私自身は沖縄との接点は少ない。これまで3回しか沖縄に行ったことがないし、沖縄戦のことはときどき耳にしたが、県民の4人に1人が亡くなったというすさまじい地上戦の状況を直視できない。基地の問題や日米地位協定の不公平も置き去りにされたままで、山積みになっている解決への道筋をどう見出せばいいのか途方に暮れてしまう。

『沖縄発 記者コラム 沖縄の新聞記者』(高文研)琉球新報社+安田浩一編著『沖縄発 記者コラム 沖縄の新聞記者』(高文研)
 そんなときに目にしたのが本書『沖縄発 記者コラム 沖縄の新聞記者』(琉球新報社+安田浩一編著、高文研)だ。「琉球新報」デジタル版の「沖縄発 記者コラム」に掲載された記事を取りまとめて加筆修正したもの。その点では、一冊を通して何か一つの問題が掘り下げられているわけではないが、政府との関係、翁長前県知事、ジェンダー、沖縄戦、闇社会、国際問題など、さまざまなトピックスが沖縄の視点から語られている。

 しかも、ノンフィクションライターの安田浩一さんが編者をしている! 安田さんの著作はほとんど読んでいるが、特にヘイト問題に対する取材ぶり、冷静で、やさしさを感じられるまなざしを好ましく思っていた。この本の各章の終わりには安田さんの原稿が付されている。

 沖縄の新聞といえば、「沖縄の二つの新聞はつぶさなあかん」を思い出す。作家の百田尚樹氏が2015年、自民党の国会議員が開いた勉強会で語っていたという。なんて傲慢なのだろうかと衝撃を受けた。「つぶさなあかん」と名指しされた一つの記者たちはどんな思いで仕事をしているのだろう、そんな興味もあった。

 本書の一つめの魅力は、そんな記者たちの顔が見えるところだ。それぞれの原稿には記者の自己紹介があり、また文章もふだんの新聞記事と違って一人称で展開されている。

 新聞を読んでいると気づかないが、書き手の顔が見えることは限られていると思う。かつてに比べて署名記事は増えたので、取材した人の名前は分かるが、たいていは事実が淡々と書かれていて、その記者さんがどんな思いで取材し、どんなことを感じたのか、パーソナリティはわからない。「~と思った」「~と感じた」「~のように見えた」など、主観が入った文章はコラムなどをのぞいて目にすることは少ないのではないか。

 一方、本書では、記者たちの戸惑い、喜び、憤りなどがストレートに伝わる。

・翁長知事の体調問題を追う記者は「公人といえども人権やプライバシーを軽んじるわけにはいかない」と1面で出さない判断をした。
・ある女性記者は、取材対象者の懐に飛び込む取材こそが記者の評価を高めると、嫌々ながらカラオケで軍歌を歌った。
・米兵による暴行事件と女性の強姦事件を1990年代に追った記者は「我々の報道が弱く、米軍側は形ばかりの反省と改善を取り繕っただけだったのではないかという反省の念が胸を突いた」と今も続く迷いを打ち明ける。

 どの原稿も「私」を通して書かれており、書き手のパーソナリティを隠した新聞記事では決して感じることのない、人間一人ひとりの生々しい思いが伝わってきて心を揺さぶられた。

沖縄県の玉城デニー知事(奥)=2021年11月25日午後5時34分、沖縄県庁
玉城デニー沖縄県知事(奥)の記者会見=2021年11月25日、沖縄県庁

 もう一つの魅力が、次々に記される知られざる事実だ。自分自身がいかに沖縄のことを理解していなかったか痛感する。

 この「神保町の匠」の執筆者の一人、佐藤美奈子さんが以前、勧めてくれた本『沖縄報道──日本のジャーナリズムの現在』(山田健太著、ちくま新書)では、普段、東京で読んでいる新聞と、沖縄の近くの九州で配布されている新聞で、その内容が大きく違うことが詳細に記されていた。私の不勉強だけではない、関東では報じられない事実もあるのだと思う。

 そのいくつかを紹介したい。

・安倍政権下で、首相会見が設定されたと聞いて官邸に行くと、出席するための抽選がすでに終了しており、別の部屋で音声だけ聞かされた。
・菅政権下では、抽選には何とか参加できても落選。フリーやネットメディア、外国人記者の枠は別に確保されているが、「地方紙」枠はない。
・翁長県知事の体調情報を公表以前に流した出どころは今もわからない。
・暴力団にもつながる半グレのAが「桜を見る会」に出席して、政権幹部と写真に収まっていた。その写真は今なおネットで見ることができる。

平和祈念資料館の歴史修正

 そのなかで私が特に印象に残ったのは、沖縄県平和祈念資料館にまつわる話題だ。松永勝利記者が書いている。

 1978年に開館したこの資料館は、「住民の視点」で沖縄戦の真実を伝えてきた。2000年4月に新しい資料館に移行する予定だったが、前年の夏に松永記者はその資料館について、知り合いから「県庁の中でおかしなことが起きている」と告げられた。

 取材を進めた記者たちは驚くべき事実を発掘する。

 「ガマ(壕)での惨劇」と題された展示では、ガマに逃げ込んだ住民たちに対して日本兵が銃を突き付けている様子が再現される予定だった。沖縄戦では県民を守るはずだった日本の兵士が、ガマに逃げ込んだ住民に銃を向け、虐殺したり、追い出したりしていたことを示すものだ。

沖縄県平和祈念資料館の展示 ガマのジオラマ2014年2014年当時、沖縄県平和祈念資料館に展示 されていたガマのジオラマ

 これが新資料館の展示作業において、日本兵の「銃」が撤去されていた。銃を構えていない日本兵は、ガマに逃げ込んだ住民を見守っているように見える。これでは趣旨がまったく違ってしまう。

 琉球新報の報道で、当時の県知事の意向も影響し、日本兵の銃が外されたことが明るみに出る。沖縄のほかのメディアも事実を追い、この報道一色になった。

 私が感動した場面がある。毎週行われていた知事の定例記者会見でのことだ。

 私(=松永記者)が質問しようと真っ先に手を挙げると、会見を仕切る広報監は私以外に誰も手を挙げていなかったにもかかわらず、「松永さん、最初はほかの県政についての質問を受けたいと思います。どなたかいらっしゃいますか」と私の質問を遮ろうとした。
 すると毎日新聞の野沢俊司那覇支局長が、「俺たちは資料館問題以外に聞きたい話なんかない。松永君、質問して構わない」と援護してくれた。(P116~117)

 1999年のことだが、このころは記者が会見場でこんなふうに連帯していたのだなぁ、と胸が熱くなった。

 結局、新資料館の展示では日本兵が県民に銃を突き付けている様子が再現された。それも松永記者たちの尽力のおかげだと思うと、記者の仕事は本当に偉大だと尊敬の念を覚える。

 そして18年後、松永記者はお子さんとともにこの資料館を訪れた。そこでのエピソードは本書に譲りたいと思う。

 いつの時代も、「あった歴史ではなく、あるべき歴史」を強調する人たちがいる。歴史修正主義だ。もちろん、私も同じ日本兵が県民に銃を向けて虐殺したことなど信じたくない。この兵士だって普段は一人の善良な市民だったかもしれない。にもかかわらず、国民を守るはずの軍隊が、自国民を殺す。これは目を背けられない戦争の現実だ。

 歴史を少し見渡せば、軍隊が自国民に銃を向けることが特異なことではないと気づく。1980年の韓国の光州事件、1989年の中国の天安門事件、2014年のウクライナのマイダン革命……など枚挙にいとまがない。今なお、ミャンマーやアフガニスタンなどで、同じことが起きている。

無視され続ける沖縄の民意に私ができること

 沖縄の音楽を耳にするたびに切ない気持ちになる。美しい海、人々の明るさ、三線が奏でるのんびりさに引き換え、たどってきた歴史があまりにも過酷だからだ。国境などという人間が決めた線によって、境界に近いところに住む人たちは、理不尽な生活を余儀なくされてしまう。本当はのんびり、三線を弾き、きれいな海を眺めながら暮らしたいはずだ。

 国軍を持たない日本は、米軍の軍事力に頼らざるを得ない。狭い国土の中で、しわ寄せはほとんど沖縄に押し付けられ、政治家たちはその苦痛に寄り添う姿勢も見せない。もちろん、その政治家だけに責任を帰するのは間違っている。彼ら、彼女らを支持し、選んでいるのはまぎれもなく私たちだ。

 普久原均記者が沖縄県を訪れた菅義偉官房長官(当時)に投げかけた質問は身につまされた。

「辺野古新基地建設の是非をめぐり、沖縄ではすべての衆院小選挙区で新基地反対を掲げる候補が当選しました(2013年当時)。知事選でも、参院選挙でもそうです。あらゆる民主主義的手続きの機会に、沖縄は反対の民意を明確に示しています。それなのに政府は新基地建設を強行しました。(中略)これでも日本は民主主義の国と言えますか」(P61~62)

2013年4月3日、菅官房長官(当時、右)は琉球新報社と沖縄タイムス社を訪問した。写真は米軍機による事故について説明する沖縄タイムスの武富和彦編集局長(左手前2人目)2013年4月3日、菅官房長官(当時、右)は琉球新報社と沖縄タイムス社を訪問した。写真は米軍機による事故について説明する沖縄タイムスの武富和彦編集局長(左手前から2人目)

 沖縄のことを知るのは骨が折れる。歴史も複雑だし、起きた事件も胸が痛むものばかりだ。基地問題は今なお改善の道筋もたたない。

 春先に沖縄を多く取り上げていた新聞だったが、安倍元首相の事件、内閣改造などで吹っ飛んだ。図書館で8月4日~11日までの朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の朝刊(東京本社版)を見てみたけれど、沖縄戦、台湾有事、朝ドラ「ちむどんどん」がらみの記事は少しあったが、基地関連の記事は一つも見つからなかった(見落としていたら申し訳ありません)。辺野古の埋め立てや高江のヘリパッドはどうなっているのだろうか。

 安田さんはこう書いている。

沖縄の新聞は基地と戦争のことばかり書いている──そうした物言いに接するたび、どれほど青臭く見られようが、それが沖縄紙の使命なのだと私はムキになって反論している。年に一度の“8月ジャーナリズム”で戦争を語ったつもりになる大メディアとは違うのだ(最近はそれすら放棄するような動きも見られるが……)。(P134)

 そこで思い出したことがあった。少し前に斎藤貴男さんの『国民のしつけ方』(インターナショナル新書)という本を読んだのだが、そのなかで斎藤さんは、新聞社は「沖縄面」「福島面」を設けて、定点観測すべきではないか、と提案していた。私も大賛成だ。

 今私にできることは、沖縄のことを知り、考え続けることしかない。戦争の話題は苦手だが、それ以外のアプローチだってある。

 20代のころ、沖縄出張の際に平和祈念公園に立ち寄った。同僚たちから「一度行った方がいい」と強く勧められ、出張の予定を1日延ばし、自分でレンタカーを借りて行ってみた。

 その公園は、緑の芝生の上に御影石が並んでいるだけの静かな場所だった。「平和の礎(いしじ)」だ。戦争を思わせるものは何一つない。にもかかわらず刻まれた名前を目で追うととてつもない思いに襲われた。もう20年も前のことなのに、そのときのことは今でも原体験として残っている。

戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」沖縄県糸満市摩文仁戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」=沖縄県糸満市摩文仁の沖縄県営平和祈念公園

 いろいろな方法で沖縄に関わり、知ることはできる。途方もない道のりだけど、沖縄の人たちが安心して暮らせるよう、一人の大人として、私も考え続けたいと思う。