2022年08月16日
襟裳岬。
おそらく、大体の日本人はそこが北海道であること、道南のとんがった先の岬であることを知っているだろう。そして、ある年齢以上の日本人はほぼ間違いなく、この岬の名の歌を知っていて、そのうちの多くは一度や二度は口ずさんだことがあるだろう。私もその一人である。「襟裳岬」とは、言わずと知れた、森進一の1974年の大ヒット曲で、その年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞している。
しかし、岬の名は全国区ではあっても、多くの人は訪れたことすらないであろう。道民であっても、なかなか行くことがないということを最近北海道の友人から教えてもらった。ある意味、名前はよく知っているけれど、実はどんなところかよく知らないという摩訶不思議な地でもある。
先日、久しぶりに仕事で北海道に向かうことになり、少しだけ北海道らしさを味わってから帰京しようと計画を立てたときに、突然、「襟裳岬に行ってみよう!」と思い立った。
学生時代、ライダーとして、東京から途中津軽海峡は青函連絡船で渡って北海道を周回した際、宗谷岬から根室岬までは海沿いを南下、そこからは内陸を通って苫小牧に抜けたために、唯一パスしてしまったのが襟裳岬だった。あのとき、襟裳岬も行っておけば、と小さな心残りがあった。
襟裳行きのプランを弟に告げたときに、一度はバイクで行ったことがあるという彼は「歌の通り、何もないよ」とメールしてきたが、それでも一度は見てみたい襟裳岬、と今回はさすがにバイクではなく車を走らせて向かった。
街の光景が消えた後は、行けども、行けども、緑の大地と波打つ海(写真1)。新千歳空港からは、約180キロ、4時間弱の道のりだ。実際のところ、かなり遠い。
襟裳に近づくにつれて、聞いていた通り、コンビニはおろか、お店もまばらな街道となっていく。そして行き着いた岬は、私にとっては南アフリカの喜望峰を彷彿とさせる絶景であった。年間のうち3分の1くらいは霧や雨で視界が開けないというが、その日は水平線まで見渡せる穏やかな天候であった。
「これが、“あの”襟裳岬……」。息を呑んだ(写真2)。
地元の人に「あの……森進一さんもここに来たんでしょうか?」と尋ねると、「(襟裳に何もないって言われて)、最初はあったま来ていたけど、歌詞の意味がわかって、そうだね……10年くらい経ってから歌いに来たよ」という返事があった。
「え? メジャーにしてくれて、ありがとう! ではなかったんだ!」と内心びっくりしたが、おじさんの話はさらに続いた。
「来るとなったら、ファンの人も大勢やってきて、そうだなあ、バス3台で、200人くらいやってきて、宿は雑魚寝状態だったよ」とそのときの熱気を語ってくれた。
てっきり歌のおかげで名前が売れて良かったという話が聞けるとばかり思っていた私は、急いで「襟裳岬」をダウンロードして、それこそ襟裳岬で襟裳岬を聞いた。
確かに、歌詞のサビ「襟裳の春は~~~何もない春です~~」は空でも口ずさめるが(襟裳岬歌詞、作詞・岡本おさみ)、ほかのところはさっぱり覚えていない。
耳を澄ませて聞いてみると、
「理由(わけ)のわからないことで悩んでいるうち 老いぼれてしまうから」
「日々の暮らしはいやでもやってくるけど 静かに笑ってしまおう」
「いじけることだけが生きることだと飼い馴らしすぎたので 身構えながら話すなんて あぁ 臆病なんだよね」
子どもの頃に聞いても多分全くピンと来なかったであろう、人生を生きるつらさを切々と歌っている歌詞が、今はしみじみと身体にしみてくる。「ああ、半世紀前の大人たちも今と変わらないじゃないか……。この歌詞だからヒットしたのか……」と、疲れた大人たちを労わるメッセージだったのか……と今さらながらわかってきた。
襟裳岬を後にして自宅までの帰路、この歌詞の意味を実際に味わった襟裳岬での時間と照らし合わせながらひとしきり考えてみた。
「襟裳の春は何もない春です」
地元の人も最初は怒ったというこの一節「何もない」の一つ目の解釈として、「北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めている」から、春には「悲しみというものは何もない」と読めてきた。そう、あなたの悲しみはみーんな燃やしてしまって今はなくなったよね、ということである。
さらに、「遠慮はいらないから暖まってゆきなよ」からは、「遠慮など何もなくてよい」、先ほど紹介したように「悩んだり」「身構えながら臆病に話す」ことも必要ないんだよ、と読めはしないだろうか。
「ない」ものは、悲しみであり、遠慮であり、臆病であり、それを暖炉で燃やして、なくして、すっきりとした春を迎えましょう、というのだ。
確かに、私が話を聞いた襟裳の方は、遠慮なく、ややぶっきらぼうではあったが、温かみを感じられる人だった。そう、ほっとするお人柄というのがぴったりくるような。その後も、普段は宿泊先の宿の人と話すことなどない私が珍しくたくさん話をしてしまった。それだけ、話しやすい雰囲気を醸し出してくれていたのだ(※)。
※この歌詞については、作詞家の岡本おさみが襟裳岬を訪れたときに「何もないですけど、お茶でもどうぞ」と言われたエピソードに端を発して書かれたものだとWikiには書かれている。
もう一つ、これはおそらく地元の人々も最初にカチンと来たのはこの意味だったのだろうが、「都会に当たり前にあるものが何もない」という意味についてである。確かに襟裳岬には、東京では当たり前のきらびやかなネオンも、立ち並ぶ店もない。それは「何もない」ことになるのだろうか。
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