メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

懐かしくて、切ない。北九州での出会いと思い出

自由なスペースと教会で思い切りうなる。そして知った、旦過市場の火災

玉川奈々福 浪曲師

物語の宝庫、関門海峡へ

 ちょっと前になりますが。7月下旬に九州ツアーをいたしました。

拡大JR門司港駅のホーム=北九州市門司区西海岸
 すでに感染状況はかなりひどくなっておりましたので、3か所予定されていた公演の、それぞれの主催者の方々に、「どうしますか?」と問合せましたが、「やりますよ~!」と心強いお返事をいただき、せめて東京から行く私たちへの不安をなくしていただけるよう、自主的にPCR検査を受けてから、飛びました。

 今回のツアーは3か所。門司港(福岡県)→佐賀市(佐賀県)→八幡(福岡県)。

 三つ、全然違うお仕事でした。

 初日。仕事前日から入り、主催者の方々に、関門をご案内いただきました。

 関門海峡は狭い。門司港と下関は、海の下に人道トンネルも通っていて、歩いて渡ってもすぐです。

拡大狭い海峡にかかる関門橋
 関門海峡は、物語の宝庫です。

 まずは下関側にわたって、平家滅亡の地である壇ノ浦を見て、耳なし芳一ゆかりの赤間神宮で、平家一門を祀る塚にお詣りしました。そして九州側に戻り、門司港の山上から海峡を眺めました。ここで平家は滅び、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦い、馬関戦争が起こりました。

 こんな狭い海峡で、平家・源氏1300艘の舟がひしめきあって戦ったのか、そしてその戦後のありさまはいかばかりであったかと想像し……。

 と、現地を見られるのが旅の醍醐味です。

拡大北九州市・門司港側の和布刈公園から関門海峡を望む。はるかに巌流島が見える(左)。物語の舞台となった風景を眺める曲師の沢村美舟と筆者の弟子・奈みほ


筆者

玉川奈々福

玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師

横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

玉川奈々福の記事

もっと見る