【51】炭鉱が生んだ狂喜乱舞 その最後を『8時だョ!全員集合』が飾ったのか
2022年08月19日
「北海盆唄」北海道民謡
作詞・不詳/編曲・今井篁山(1940年)
前編では、いまや「炭坑節」と「東京音頭」につづいて盆踊りの定番BGMになっている「北海盆唄」について、その替え歌が『8時だョ!全員集合』のオープニングソングであったことに焦点をあてて検証を行なった(前編はこちらでお読みいただけます)。
そもそも北海盆唄のオリジンは、多くの人が炭鉱地域に移住したとされる北陸・東北地方の女性器の卑称である「ベッチョ節(踊り)」あるいは「チャンコ節(踊り)」「チョンコ節(踊り)」と呼びならわされてきたバレ歌であり、その歌詞に着目したが、それに合わせる踊りもまた猥雑にして卑猥きわまりなかった。
後編ではそこにフォーカス、エンタメの神様のご機嫌をうかがいながら、さらに検証を深めたい。
その踊りぶりがどれほど「卑猥性」「猥雑性」に富んでいたか。北海道民謡界の重鎮・吉田源鵬氏によって「北海盆唄」発祥の地と特定された旧幾春別炭坑を市域にもつ三笠市の『新三笠市史・通史編』(三笠市史編さん委員会編、1993年)から、それを引いてみよう。同書には、幾春別炭坑と隣接する幌内炭坑地区の大正12、13年頃の盆踊り風景がこう描かれている。
「櫓に何百という赤・青・黄の電球が飾られ、夕闇迫るころともなれば踊りの輪は二重、三重にもなり、見物人は老若男女を問わず浴衣がけで幾重にも人垣を作り、夜が深まるにつれ踊りは最高潮に達していった。踊る服装も様々で、印半てんを着、それを赤帯で結び、豆しぼりの手拭で煩かむりをする者もある」
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