1982年に劇団を解散し、演劇の現場から離れていたつかこうへいは、85年に、ソウルで韓国の俳優たちと『熱海殺人事件』を作りました。開幕は目前です。そこへーー。
【韓国で再び舞台演出を】のこれまで
①母に捧げるソウル公演、つかこうへい再び舞台へ
②つかこうへい演劇の本質照らしたソウル版『熱海殺人事件』
③日韓を結んだ大プロデューサーとつかこうへい
④ソウル版『熱海殺人事件』への石丸謙二郎の貢献
金浦空港、『ホットドッグプレス』の運命は
つかこうへいが祖国で初めて手がける芝居、『ソウル版・熱海殺人事件』のルポのため、『ホットドッグプレス』の担当編集者原田隆とともに、再び韓国を訪れたのは、1985年10月29日、公演初日の3日前だった。
20時40分、金浦空港到着。飛行機を降り、空港ロビーに入ったとたん漂ってくるニンニクの香りは、〝ソウル熱〟に感染したままの僕らに、再びこの地に来たことを実感させてくれ、気持ちはいやが上にも高まる。
そしてその実感は、すぐ別の形でダメ押しされることになった。

1985年の韓国。【上】毛筆でハングルの習字をするソウルの小学生【下】休戦ライン付近の韓国「勝利部隊」の兵士たち。山岳地帯を警戒し、板門店とは違う緊張感がある
3週間前の訪問では、記事の「予備取材」と称しながらも、それがどんな雑誌に載るか、こちらの芝居関係者たちに伝えることが出来なかった。その反省から、今回、原田は意気揚々と『ホットドッグプレス』の最新号を持って来ていたのだが、なんと税関であっさり没収されてしまうのだ。
その号が「若者のセックス」特集だったからである。
表紙をデカデカと飾る「SEX」の3文字に目をやった係官は、それだけでページを開くこともなく首を左右に振り、次の瞬間、1冊だけの『ホットドッグプレス』は後ろの籠にポイと放り込まれた。別に裸の写真があったわけでもない。1985年の韓国はまだそういう国だった。
原田はやりあうこともなく、僕を見て気まずそうに笑う。よりによってなんでその号をと思ったが、ここで怒鳴りつけるわけにもいかない。ただため息をついてみせるしかなかった。
わざとらしくうなだれたままの原田は無視し、まずつかが暮らすお母さんのマンションに電話する。しかしつかはまだ帰っていなかった。さすがに初日目前で、稽古も追い込みということだろう。明日の午前中に訪ねることをお母さんに約束し、タクシーでソウル市街へ向かう。